アルコール依存になりつつあるかも

ここ2週間ほど、週の半分以上飲みに行くと言うことが続いてた。ほとんどが仕事関係で、一日だけ独り飲みだったかな。ようやく落ち着いて、家でゆっくりしてるとなぜか飲みに行きたい衝動が。

お金と体がついて行くのであれば独り飲みに繰り出しても良いのだけれど、どちらもちょっとヤバそうなので家で大人しくしてる。しかし、家にいてもお酒はあるからちょっと飲もうかな…等と思ってしまう。

これはもうアルコール依存なのではないかとちょっと心配。

独り飲みは船橋へ行ってきたのだが、30分も飲むともう満足してしまって退店。別に店が悪いとかではなく、静かに食べて飲んで、用が済んだらすぐに最近退店してしまう。独り飲みの仕方も少し変わってきた。

以前はよく行っていた温泉宿もいかなくなって、おそらくまた惹かれるものが変化していっているのだろうけど、一体何を求めているのか自分でもよく分からない。

分からないこそ、やはり色々と試して自分に合うものを探していかなくちゃ。

tumblr削除しました

長らく放置していたtumblrのブログ、アカウント毎削除しました。数多くの記事があり、ちょっともったいないかとも思ったけど子供も実は結構大きくなってきてて、いつか俺の書いた恥かしい記事も読まれるんじゃないかと思うとそろそろネットから退却することもやっておいた方がいいんじゃないかと思って。

まあ、tumblrについてはtumblr内でも書いたけど、みんなが評価する記事はリブログされるので、それで残るから良いかなと。

久々にtumblrアクセスしたけど、やっぱりちょっと使いづらくなってるよな。移転したこと自体は間違ってなかったかも。

あと、このブログももしかしたら閉鎖するかも知れません。閉鎖と言うかアドレス変えて誰も知らない場所へ移転かな。その際は事前にここで告知します。

映画「658km、陽子の旅」を観てきた

現時点で今年No.1の映画。一言で言うなら菊池凛子の演技で9割出来ている映画。

もう冒頭の主人公が甥と話すシーンで引き込まれた。しばらく人と話をしていないことが分かるたどたどしい主人公の話しぶり。そういえば人と長らく話してないとそういう話し方になるよな、と思い出した。前半はそういう主人公の空気読まなさが画面から滲み出してくる。そして途中出てくるゲスなジャーナリスト。相手に選択肢を与えたと責めるところがまた卑怯な小者が滲み出てて素晴らしかった。

そして最後の結果と終わらせるタイミングも文句なしだった。適度な余白を持った終わり方。

ストーリーは亡くなった父親の出棺に間に合うかどうか、途中ヒッチハイクを行いながら北へ向かう主人公のロードムービー。主人公はもう一度生きることを否応なしに実感されられていく。

俺もコロナに罹患し、母親の葬式に出られなかったので気持ちとしては分かるところがあった。この映画を観終わって、結局父親と真の意味でお別れができたのはこの主人公ではなかったかと感じた。それは映画が終わってから俺が感じたのだけれど、最終的には辻褄として合っているような気がして、そう感じさせられたところも含めてこの映画スゲーわ、と思った。

とにかく菊地凛子の演技力が本当に凄いので、是非映画館で観て欲しい。

ちょっと疲れてるのかも

ここ何年か結構仕事は充実していたように思うけれど、少し疲れたかな。連休があって、ゆっくり出来たけれども何か足りないような気がしてる。

日本各地のローカル線に乗って旅をしたい。ディーゼルカーに乗りなが窓の外から草や土の匂いがしてくるとそのまま天国へ上がっていってもイイと思えるくらい幸せだった。

そんな旅をしたい。もう連休も終わりだと言うのに今更感が凄いけど。twitterなんか見てるとそういう旅をこの連休で実行している人たちが結構いて、羨ましい。

できれば四国がいいな。徳島の更に南へ。誰も知らない僻地へ行き、しばらく滞在したい。

久々に温泉宿に引きこもり

明けましておめでとうございます。

急遽、出張中に仕事が切り上げとなり1日空いてしまった。とりあえずスマホで山奥の温泉宿を検索し、電話予約。そして今、その宿に宿泊中。

高速道路を降りて100㎞以上の一般道を走破し、ようやく到着した山奥の宿。以前、よく行っていた温泉宿が運営していた老夫婦の年とともに朝食付きで無くなり、そこへも行かなくなった。それからは本当に温泉宿はご無沙汰だった。

定期的にこういう人のいない場所に引きこもりたくなる。風呂の後は夜の静寂に身を任せる。本当は酒でも飲みたいところだが、ここ最近は飲み過ぎで体調もおかしくなりつつあるので自粛。

後いつまでこんなことが出来るのだろう。

クリーピングコインとずっと戦ってる

仕事が猛烈に忙しい状況がずっと続いてる。スキルアップを望めそうな仕事ならいいが、細かいどうでも良いような仕事ばっかりやっててウンザリ。Wizardryで言うところのクリーピングコインにひたすら仲間呼ばれているような感じ。ドラクエならマドハンド?

ただ、もうこの年だし、忙しい時期も暇な時期も、好調な時期も不調な時期も永遠には続かないことももう理解している。暇なら暇で不安だしな。

気がつけばもう社会人になって30年くらい経とうとしている。今でも覚えてるけど、入社1日目は人生でも一二を争う緊張だったな。今となってはなんであんなに緊張したのかと思うけど。

これからあと何年働くのか。65~70歳くらいまでとして、あと15~20年くらいあるのか。長い長い旅路だけれど、逆にこの働くと言う行為が無くなった時は、死が近いと言うことだろう。もう社会人としても半分過ぎてしまったのだから、残りの時間はかなり貴重だと信じて生きていこう。

寂れた居酒屋で自我を溶かす

寂れた居酒屋で飲むのが好きだ。もはやライフワークみたいになってる。そこはいつも別世界。

今回も「独りで静かに飲むのが好きだ」と大騒ぎして店員やお客のオバサンに迷惑をかけている爺さんを横目で見ながら独り飲みしてた。若い時ほど酒も肴も飲めないので会計して2,000円行かない、映画で2時間潰すか飲みに行くか迷えるレベル。

twitterとかインスタに上げる人も多いけど、やっぱり俺はその世界に浸りたいし、せっかく別世界に行っているのに現世のことを思い出さなくてもいいじゃないか、とスマホは鞄にしまったままにする。行く場所が最初から決まっている場合はそもそも持っていかない。

ただ、他の人が上げている写真はよく見てる。次はどこに行こうかなと探すときの資料としてる。みんなホントに良いとこ知ってるよな。ただ、店の中の写真はほとんど上がっていないので、やはりそこは別世界のまま。

鉄道で国内を移動しながら、飲み屋をのんびり巡るような余生を過ごしたい。普通列車で移動して、鄙びた駅前旅館に泊まり、寂れた居酒屋やバーへ行く。

何だかそういう場所で独り飲んでいると、自分と言うものが消えていき、世界に溶け込んでいくような気がする。それがとても気持ちいい。

Tシャツに凝り始めた

久々の更新。歳を取ると何だかブログにアウトプットするのもめんどくさくってダメだな。サーバー屋さんの移転でこのブログにアクセスできなくなっていたのも一か月くらい気がつかなかったくらいもう自分でも見てなかった。

最近はTシャツに凝るようになってきた。あまりの暑さでもう涼しければ何でもいいや、となるとTシャツだよね。で、今まではユニクロとかグラニフあたりで適当に気に入ったデザインのもの買ってたんだけど、それじゃ物足りなくなって、ネット通販でのTシャツ購入検討、からTシャツの選び方みたいなサイトに行き、よくよく見るとTシャツって布地の厚さも結構種類あるんだ!とそこから無地Tシャツの布地厚さとか気にするようになった。

Tシャツで検索すると結構高めのブランドTシャツの紹介が多いんだけど、そういうのはパス。どうせ襟元はいつかヨレヨレになるし、白地Tシャツだと黄ばんできたりするので、安くてそこそこ品質の良い物を、と言うことをメインで探してる。

と言う訳でやたらTシャツの数が増えてきたんだよな。でも白か黒の2色無地をメインにしてるので、まあ無難に毎日着まわせるから無駄にはなってない。

映画「死刑にいたる病」を観てきた

少しネタバレっぽいのを含みます。

なかなか面白かった。最初はグロいシーンも多かったのだが、それが段々と黒に塗りつぶされていくような感じ。ただ、阿部サダヲ演じるシリアルキラーの人心掌握術についてもうちょっと説得力が欲しかったかな。

シリアルキラーが「世の中善人ばっかりで御しやすい」みたいなこと言ってて、確かにそうだよなーと思った。確か角田光代の「紙の月」でも世の中は人を疑うことを知らない善人が多いみたいなこと書いてなかったっけ。モラルに反する人たちってそういう悪意を持つこと自体に優越感を持ち、それにすがることで自己肯定感を保持しているのかも知れない。

話は戻って、特に後半の岡田健史と阿部サダヲの面会室のやり取りは緊張感があって本当に良かった。後半、ヒロインがシリアルキラーの手下にさらわれて岡田健史が救出に行くみたいな展開になったらやだなあと思っていたのだけれど、そういう展開にならなくて本当に良かった。

結局シリアルキラーは肉体的に他者を支配することから精神的に他者を支配することに快感を覚え始めたのだろうな。まあ、捕まってしまえば物理的に他者へ影響は与えられないので精神的に支配しかできないのだろうけど。

ところで岡田健史を松山ケンイチとずっと勘違いしてた。いろんな役するなあと思っていたのだけれど、エンドクレジットであ、違う人じゃん、と気が付いた。

おっさんは他者との会話も有料コンテンツになっていることを理解すべき

俺通信から解放されたい

おっさんがひたすら虚空へ発信することを俺通信って言うのか。まあ、おっさんあるあるだよね。彼らに受信側の都合はあんまり関係ない。発信すること自体がストレス解消なのだ。この受信側の人は50代のおばさんと言うことだが、それもまたおっさん連中には安心感の一つかも知れない。20代の女性に送ればセクハラだけど、50代なら…と言う甘えがある。実際には何歳に送ろうとセクハラと取らえられるとセクハラなんだけど。

おっさん、と言うか、歳を取るほどに人は発信したくなる。特に男は俺の壮絶な人生を見てくれ!みたいな。みんな自分の人生を壮絶だと思っているものの、どれも外部から見れば平凡な人生なんだけど。だけど自分の人生だけは特別だと思っているし、そう思わないとやってられない。

会社では突き上げられ、家庭では無視される。でも結構俺、頑張って来たよね?誰か理解してよ。

と言う心情の発露の先にちょうど良い感じにこの人がいたんだろうな。

俺もおっさんだけど、趣味にしても何にしても独りで完結出来ないおっさんっているよね。誰かと一緒じゃないと何も始められない、何かをやっても常に誰かにその情報を垂れ流さないとやっていけない人。

携帯電話ショップでひたすら女性店員と無駄話をしようとするおっさん。

コンビニに毎日通い、女性店員と仲良くなって必死に無駄話を延長しようとするおっさん。

居酒屋で注文を取りに来た女性店員に一生懸命受けないギャグを飛ばすおっさん。

みんな、必死なんだ。俺にはまだ価値があるはずって、誰かに認められたい。それはおっさんと言う同カテゴリーの属性じゃなくて、もっと遠い、もっとも遠い属性をもった他者から。女性なら俺にそんなきつい言葉を投げかけてこないんじゃないか、まだ甘い言葉を掛けてくれるんじゃないかって、その一縷の望みにかけている。