全方位防御は無理→ノーガード戦法

検察庁の定年延長の件。なんかすげー違和感だらけなんだけど。最初の黒川さんの定年延長ありきのスタートから、世論に負けて引っ込めたところまではまだ良しとしても、定年延長自体は誰も反対してなかったじゃん。黒川さん有りきが問題で、定年延長は時代の流れだよなって感じだった。

更にはその後、文春砲を浴びて掛けマージャン発覚。だけど、朝日新聞と産経新聞の記者はお咎め無しなのか。黒川さんには退職金返上しろと言っておいて。

黒川さんの退職金も6000万とかちょっと俺みたいな零細企業リーマンには信じられない金額だけどさ。国が確か2000万貯金しろって言ってたから、せいぜい2000万くらいの退職金でいいんじゃないの。

あと、この掛けマージャンの記事が出たタイミングも、法案撤回後すぐに出てきたのもなぜなんだろう。渦中の人を表舞台から降ろしてハイ終わり、としたいのかな。

一連の動きに一貫性が無さすぎるよね。黒川さん有りきの法案通そうとしてNGなら、対象となる人員が黒川さん以降にすればよかった話だし。そもそもあれだけこだわっていた定年延長をなぜ黒川さんNGならやっぱ全部やーめた、って分かりやす過ぎだろ。もうちょっとカモフラージュしようとか思わなかったのかな。

掛けマージャンも、法曹界自体から額の問題みたいな話出てきて、いや、確かに一般的には低額の掛けマージャンは一般的に黙認かもしれないけど、それを法の番人がいっちゃダメだろ。

更には新聞記者もやってたって、新聞社としてはその記者に厳しい懲罰与えないと、読者に対して説得力ないよね。

この件については関係している組織がみんな刹那的と言うか場当たり的と言うか、一貫性のないことばかりしてる。どこも大きくて立派な組織だと思うんだけどなあ。

ちょっと前に安部首相が星野源のビデオとともに犬を抱っこして登場した国民の神経逆なでしまくった動画があったけど、それも含めて組織内でこういうアウトプットしちゃダメですよーと言う歯止めが組織内にないのかな。

ブラック企業勤めの俺の予想としては、危機感抱いている人はいるけど権限がないのか、所属している組織自体にもう嫌気がさして止めようとしていないのか。

でもね、何となく分からないでもない。どんな対応したって、文句言われるのが今の時代。全方位360度全ての批判に耐えうる対応とか方針って存在しない。

存在しないのだから、そんなことにリソースを使うくらいなら刹那的な対応をして時間を稼ぎ、忘れてもらう方が良い、そういう対応が様々な選択肢の中で一番マシだとどの組織も感じ始めてるのじゃないかな。

でも、本来は誰かに文句を言われようと、俺はこの方針で行く、と言う強い思いがある組織が正しいし、社員のモチベーションも上がると思う。その方針が私腹を肥やすことでなく、世のため、人のためを最終目標にしていれば、多少軌道修正は必要かも知れないけど、世の中に受け入れられると思うのだけれど。

夢とは何か

数あるブログのエントリで一番どうでも良いのが寝てる時に見た夢について語っているやつなのだが、ちょっと今回は昨夜見た夢を語りたい。

メルカリ的なネットの個人売買サイトで本を購入したのだが、その後、相手から「図書館から持ってくるので少し時間下さい」と言うメッセージを受け取る。俺としては「図書館の本を転売するって!?」と物凄いショックを受けた(もちろん夢の話)。

で、目が覚めて思ったのだけれどメルカリで図書館の本を借りてそのまま販売なんて、とても俺は思いつかない。夢が俺の知識とか考え方とかを反映していたとしても、ちょっとそれはあり得ないんじゃないかって。もっと簡単に書くと、俺の脳が持ってるローカルフォルダとアルゴリズムじゃ出せない考え方だと思う。

過去にもそういうトンデモナイ話を夢で見て、びっくりすることがある。あれらの夢が俺の経験と考え方だけでジェネレートされたとはとても信じられないのだけれど。

で、俺が前々から思っていることなんだけど、夢とはパラレルワールドの出来事を覗き見しているんだ。ちょっと違う俺が住む世界を夢で見てる。逆に俺の現実も別の世界の俺が夢として見てる。

つまり、パラレルワールドに存在する無数の俺(無数ではなく、有限かも知れないけど)はオンラインで繋がっていて、夢と言うツールでお互いのワールドを見ることができる。

そう考えると、俺が予想だにしない出来事や考え方が夢に出てきたり、或いは特定の風景が何回かの夢で再登場を繰り返すのも理解できる。

多分この俺の仮説はだいぶ未来にならないと実証されないと思うけど、おそらく数百年後の科学者がこのエントリを見てびっくりするはず。

光学迷彩な人

Aさんは存在そのものが虚無で、私はその虚無へ毎回自分の何かをひたすら放り込む、という作業をしていた。この、存在自体が「虚無」という人がたまにいる。物質的には人の形をしているけれど中身がまったくなく、その人の生の実態はほとんどなく、他人の名声、知人の人脈などに寄生して、そこからエネルギーを得、それをまた別の人に寄生するためのエネルギーにする。つまり本人はエネルギーの転換機能として存在しているだけでその人の生命の本質を見ることはない。そんな寄生人が話すのをよく聞いていると中身がまったくないにも関わらず、周囲の人は驚くほどそれに気づいてないことが多い。人の姿をした得体の知れない化け物が座っていて、周りの人間が「わぁ!すごいですね!」と褒め称える、という光景がたまに展開されている。

駄文にゅうす経由にて。うわぁ、いるいるこういう人。光学迷彩を着てるみたいに、一方から入った情報をそのまま透過させて反対側へ出力してるだけで、それがその人すべてを構成しているような人。こういう人って確かにエネルギー吸収されるんだよね。俺的にはドラゴンボールに出てくる人造人間19号と20号をイメージするね。他人のエネルギーを自分のものにしてる。

でもある意味こういう人って今の時代だからこそ出てきたのかも知れない。何も生み出さない、情報を右から左に動かすだけで生きていける。俺の場合は上司がそうだったけど、結局何もしないことが会社のほぼ全員にバレて、誰も情報を入力しなくなった。そうなると出力も出来なくなるわけで、ほぼ機能停止状態。過去に何らかの経験とかノウハウを貯め込んでおけばそれを活用できる場もあったろうに。

P.S.別件ですが…先日メールフォームからURLとパスワード送っていただきました某お方へ、ちゃんと見てますよ!

中身のない社会性生物

人と言うのは、それまで出会ってきた人たちがごちゃまぜになった結果物だと思ってる。だけど、ネット時代になって、面白い話や考え方、ユーモアなどを浴びるように受け続けているうちに、人は単に中身のない、外に他人とネット情報を貼り付けただけの物体になっているような気がする。

昔は、会える人も限定的だったので、周りの環境や会う人の影響はかなり大きかったと思う。極論を言えば、5人しか会わなければ5人のなかで一番影響力の強い人50%、残り4人で50%の混合物になっていただろう。

これが今や数千とか数万の人の個片の集まりになってくると、おそらく人のパーソナリティは画一化されてくる。統計上、n数を増やせば平均化していくのは当たり前。そして、必要な場所と人に必要なパーソナリティを見せて、また別の場所では別のパーソナリティを提示、いわゆる「俺/私はこういうキャラだから」を全方位的に展開を始める。

そんな人たちは多分、自分が一体何者なのか、何なのか分からなくなってくる。独りになる時間があれば、それをもう一回自分で掘り下げていくのだろうけど、スマホがあれば起きてすぐ、寝る直前までインスタントな暇つぶしができるのだろう。

更にネットでは自分の好きなこと、モノ、考え方だけを浴び続けることが出来る。そこで全然異質なものに出会って、影響を受けるストレスを回避し生き続けることが可能だ。

そうやって、挫折もストレスもなく、いいねとフォロー数を追いかける何かの社会性生物になるのだろう。そしてこれはきっと止められない。

無敵の人はやっぱり増える

生ける屍の結末: 「黒子のバスケ」脅迫事件の全真相を読みなおす。その中で「両親や育成環境に責任転嫁して、心の平衡を保つ精神的勝利法」と書いてあって、ああ、何となくわかるなと思った。

灰色の世界にいるより、真っ暗な世界が生きやすい。絶望と希望の入り混じった世界より、絶望だけの世界の方が住みやすい。全ての他のせいにして、精神的に引きこもった方が生きやすい。

人は言っていることが正しいとは限らない。自分で自分の気持ちを言っているつもりが、本心はそうではない。死にたいという人は生きたいし、人を遠ざける発言ばかりしている人は本当は人にもっと近くに来て欲しい。

でもそういう希望を持ちながら生きていくことが、とても苦しい。苦しすぎて、息をするのもきつくなってくるなら、いっそのこともう全てを諦めて生きた方が楽になると思い始める。

誰かと繋がりたいけど、今や他人の時間も争奪戦。サブスクで提供されるサービス、SNSでは世界中の人と繋がり、マッチングアプリで世界中の人と競争。身近な知合いや友人の時間を消費させるのも気がひけるし、俺にそんな価値があるのかと疑問を持つ。

争奪戦に参加している人々は、秒単位でキャラ変換。そこに継続的な人間性はなく、刹那刹那で切り替えていく。タブブラウザを切り替えるように、凄惨な事故ニュースの後にグルメ情報が来るように。

時間と言う概念が無く、ただただ切り替えていくキャラクター。それでみんな生きやすくなったの?本当の自分探しで終着駅に辿り着けたの?

実際には、今までローカルでしか比較されなかった人々は、フラット化した世界でグローバルな土俵の上で序列化されるようになった。なかなか努力しても序列の上に上がれず、気を抜くとすぐに脱落していく。

そんな中で、彼の言う負け組未満、そもそも負け組に入るために努力をしないと言うのは、非常にコストパフォーマンスの良い戦略かも知れない。と言うことは、無敵の人はこれからも増え続ける。フラット化した土俵に乗ること自体を止めてしまった方が楽だから。

「生ける屍の結末: 「黒子のバスケ」脅迫事件の全真相」を読んだ

先日のエントリから、結局気になって本を買ってしまった。読み進めていたのだけれど、最初は格差社会の犠牲者と言う見方だったのが、読み進めるにつれ、これは虐待と無視の結果なんだと思った。

それにしても文章が読みやすくて、この人は環境さえきちんとしたところにいれば仕事も出来る人だったんじゃないかと思う。そういう意味ではもったいない。家族と学校が彼の才能を潰してしまったのだ。

しかし、皮肉なことに、そういう裏街道を歩き続けることと地頭の良さで今回、こうやって外に向かって出ることができたんだな。

しかし、硫化水素自殺を参考に脅迫を考えていたなんて、もしかしたら俺のサイトも見られてかもしれないな、と思った。

TO:硫化水素自殺を発案された某お方へ

まだこのサイトをご覧になられていますか?あなたの発案した硫化水素の発生方法が、今回は自殺と言う形ではなく、世の中への脅迫方法の一つとして展開され、使用されてます。詳細は上記リンクの本を是非読んでもらえればと思います。あと、個人的な思いですが、またサイト再開して欲しいですねー。一応、防弾ホスティングのリストも置いておきますね。

自分を殺すにしろ、他人を殺すにしろ、楽に死ねると言う需要はずっとあるんだな。ただ、この犯人も書いていたけど、自分が死ぬことに対して、悲しむ人が誰かいると言うのは犯罪の抑止力になり得る。彼の逮捕後、出廷した際の服は拘置所で与えられたものと言うことが、彼を愛している人がいない証明になっていてそれが言葉で書かれるより事実として悲しかった。

彼は出所後、自殺するのだろうか。彼のつながりが遠い観客しかいなければ、彼は観客の好奇心を満足させるために自殺するのだろうか。かれはこの犯罪の実行者として、他の論客が持ちえない当事者としての意見と考えを出せる稀有な存在になったと思うのだが。

孤独に耐えるには大きな愛が必要と言う矛盾

この人の文章からはものすごい絶望を感じる。何も期待しない人生、否定で焼き尽くされる人生。京アニの放火犯人が看護婦さんからやさしい言葉を掛けられて、それで感動したみたいな記事もそうだったけど、犯罪を起こしてようやく誰かと繋がるきっかけとなる。それほど無視され続けた人生。

ホントは否定の炎で自分と自分と同じ境遇の人たちを焼き尽くして終わるはずだったのに、黒子のバスケがこの人にとって一番触れられたくない劣等感を偶然刺激してしまい、そこから猛烈な反発で犯罪へと走っていく。

誰にも触らせず、自分ですら触らせないくらいデリケートなところにたまたまヒットしてしまったのだろう。

成功者に嫉妬する負け組の人たちは厳罰に処するべきと言う、自分の所属しているカテゴリーを自ら滅ぼそうとする攻撃性。でもこれらはきっと全て、どこかで救済を求めてる。

なんでこんなに救済のない世界になった?それとも昔から救済は無かったけど、インターネットでそれが可視化されただけ?

見た目で有利な女子供はまだ救済される。だけど、一般常識上、強者とされるオジサン、そして若者(男)は救済する側になることはあっても、救済される側になるとは考えられていない。そしてそういう制度はまたオジサン(勝ち組)が作ってる。

こういう若者に、世間で生き抜くよりまだ刑務所の方が暮らしやすいと言わせてしまうほどに、酷い世の中になってしまったのか。そしてそれは俺(と俺の同世代のオッサン)が作り上げた世界。

錯覚にすがり今日を生きていく

街で店に入れば、店員があたかも非常に親密な間柄かのように接してくれる。「あなたのために」個人的にもてなしてしてくれている様子を模擬している。でも、期待された枠組みを外れて個人的関係を求めたら、きょとんとしながら「お客様、」と言われてしまうでしょう。私たちはそういう、虚構としての親密さのなかで振る舞うことにすっかり慣れてしまいました。何が起こるか予測できない個人商店からはなんとなく足が遠のくようになってしまいました。心が通うことよりも、心が通ったかのような錯覚を安全に得られる方を好んでいるのです

ああ、俺のことだなと思った。でも年を取って思うのだけれど、「錯覚」であってもそれにすがらないと一日が終わらないほどに孤独なんだ。

若い時は、この先にもっと心と心が触れ合うことがあるだろう、と言う期待を持ってる。だけど、歳を取っていけばいくほど、少なくとも外見上の魅力は衰えてくる。人との共感能力も落ちてくる。つまり、この先に今まで以上の心の触れ合いは期待できないとうすうす感づいてくる。

更には、家族であっても子供は独立し、配偶者は俺より先に旅立ってしまうかも知れない。最後の時は独りであることを覚悟すべき。以前見た孤独老人のTVで、インタビュアーが老人に「最後に何をしたいですか?」と言う問いに「家族でご飯を食べたい」と回答していて、ああ、今では当たり前のそれが遠い先ではどうにも手に入らない出来事になってしまうんだなと強く感じた。

他の人がどうかは知らないけど、俺は10代後半くらいからずっと孤独と戦ってて、20代後半で孤独には勝てない、共存すべきと悟った。最近は、炭酸飲料の中の泡のように、自分と孤独が一体化しているような感じになってる。孤独もまた自分の一部なんだと。

だけどその泡は体が老いていくうちに苦痛の原因になっていく。そんな時に心の通ったような錯覚でもあれば、少なくともその日寝るまでは痛みは多少和らぐんだ。

俺が今でも覚えてる心の通った錯覚は、居酒屋で独り酒を飲んでいて、コップが空になった時、店員が何も言わず、お替りを継いでくれた時。

少しだけ、見ず知らずの俺に興味を持ってくれて、俺の気持ちを理解してくれたと錯覚させられたとき。おそらく店員は単純に店のもうけか、メンドクサイから継いだのだろうけど、それでもその幻想も思い出となり、生きる糧の小さな欠片になってる。

そういやリモートワークを最近感じる

出張ばかりの仕事なのだけれど、実際会社に帰る意味が最近あんまりないよなーって思う。会社に帰るのは実際に出力して紙で確認したいとか、昔のの資料が会社に紙媒体でしかないって言うことくらいかな。会社帰ると同僚と無駄話とかして逆に効率悪かったりするし。

日中に空いた時間でWi-Fi飛んでるファミレスに入り、ドリンクバー頼みながらPCで事務処理して次の移動先に向かうって言うのが多くなってるな。ファミレスで200円くらいでドリンクバー付き、紙出力10枚まで無料とかあると結構イイと思うんだけどね。

業務時間についても、電話や訪問はもちろん業務時間中じゃないとできないけど、どこも働き方改革で残業を極力なくす、となるとまずはあまり生産的じゃない会議とか打ち合わせが削減となり、やり取りは内容の履歴が残らない電話からメールに変わってきた。そうなると業務時間で人を拘束する意味も減ってきた。

俺も最近、休日にじっくり資料作ったり社内向け資料の処理したりしてる。これだと疲れたらぱっとPCから離れて休憩し、復活したら集中して仕事に戻ることが出来て、会社みたいにダラダラしなくなった気がする。逆に平日は定時で仕事ぱっと止めて夕食(飲み含む)に行ったり。

確かにここ2年くらいで業務がいつの間にか変わってきてるな。それとともに、仕事も誰かに与えられるんじゃなくて、自分で問題点や今後の計画を立てて進む、社員と言うより個人事業主みたいな感じになってきた。

これが悪いってわけじゃなく、寧ろストレスフリーな環境だと思うけど新人とか指示待ちな人はホントに仕事が出来なくなっていきそう。だって、回りに強制する人がいなければすぐに怠惰な方へ流れていくから人間って。

そういう意味では、社員のモチベーションをいかに上げる環境を作るかってのが今まで以上に会社に必要なことになりそう。

福岡空港で夕食なら「焼鳥 白水」

いつものように出張の終わり、レンタカーを返却して空港へ移動。その日は福岡に出張だった。空港で何か食べようか、でももう空港の夕食もちょっと飽きたな、と思って何気なく信号待ちしていると焼鳥屋が目に入った。

「白水」と言う焼鳥屋。窓が開いてて何気なく中をのぞくと俺好みの店内。と言う訳でそこで夕食とした。

これが予想以上に美味しくて感動した。駅とか空港みたいな、一見さんが多く来ることが予想されるところの居酒屋ってのは、味は一定以上のレベルはあるけど予想できるレベル、と言うか無難な感じで感動もあまりないのが普通だが、ここは予想を遥かに超えててとても美味しい。ビックリするとともに、ああ、何で今まで福岡空港これだけ来ててここに気が付かなかったんだろうと反省。

飛行機が出発するまで2時間、うち1時間はここで酒飲んでつまみ食べて充実した瞬間でした。今度、福岡来るときはここでの食事を時間に入れて来よう。