skmeiの腕時計をebayで購入

俺はチプカシとかswatchとかtimexみたいな安い腕時計が大好きなのだが、色々と物色している中で以下の時計を米国ebayで見つけて購入。

skmei 1419

女性用らしいけど腕の細い俺には充分。と言うかダイヤル直径34mmならチプカシのアナログタイプとほぼ同じ。

これがebayで中国からの送料含めて700円程度って激安。まあ失敗してもいいかと購入。手元に届くには1か月程度かかりそう。

skmeiってメーカー(ブランド?)ははじめて見たのでちょっと調べてみた。

中国の広州にある会社で、2005年から時計製造を開始、2009年から自社ブランドで活動している。時計のラインナップを見たところ、自社ブランドとは言うものの、どこかのブランドによく似たデザインも多く、まあ新興国の中堅メーカーと言う感じがする。昔はS-Shockっていうバチモンも出してたらしい(つーかS-shockは中国で昔よく見たな)。

海外での評価を見ると意外に高くて、中国メーカーのわりに普通に使えるらしい。まあ、今は中国製でも問題ないレベルなのは当たり前かも知れない。

こういうノームコアな商品を選ぶ人たちは別にメーカーとか気にしないので、低価格と言うのは大きな武器になるだろうな。

久々に民泊した

実に4か月ぶりくらいに民泊した。今回は田舎の小さな漁港の近くに泊まった。窓からは港に泊まる船がすぐそこに見える。部屋はベッドとソファ、そしてWi-Fiのみが供給され、TVも設置されていないシンプルな部屋。

同じ建屋で最近開店したばかりと言うbarがあり、そこで飲む。地元の人、そして海外からきた人もそこで飲んでて(こんな小さな漁港によく来たなと思ったけど、聞いたら日本のスモールタウンが大好きだそうな。)、2時間ほど雑談。ああ、なんか久々の充実感。これだよね。酒と旅、音楽。この3つが俺を癒してくれる。

翌朝は港を散歩。少し歩いたら淹れたてのコーヒーを飲める場所があり、そこでコーヒーを飲みながら昨日のbarを思い出す。幸せいっぱい。

宿選びは居酒屋選びと似ている。合う宿もあれば、合わない宿もある。だけどこうやって合う宿があるからこそ、また次の新しい宿を探そうと思う。

年を取れば取るほど、安心を選んでいく。だけど年を取っても未知の出来事はワクワクするし、そういった未知なものを意識的に選び取っていく作業も、年を取る中で必要。体験したことのないものへ順応する、適応能力を自分の中に残しておかなくては。

映画「冷たい熱帯魚」を観た

微エロに微グロな映画。いやーでも面白かった。登場人物の描写がうまくて、どの人物も心情の動きが理解できる。一言で言うと主人公「社本」の成長の物語だね。内に秘めた暴力性を周りの人物に教えられて開花していく。でんでん演じる村田が社本のお父さん代わりだな。ただ、この村田、俺の取引先の人によく似てて、それがまた妙にリアルさを出してた。こういう一見ソフトに見える人ってヤバイよね。

それと、「家族をまず人質として取ってしまう」もサイコパスの常套手段だからね。序盤はもう見てるとヤバイよヤバイよ社本ヤバイよなんで分かんないの、と思うんだけど、その社本のダメさも見てて何となく腑に落ちてしまう。コイツはこうやって今まで生きてきたんだな、と。

何か月ぶりかに飲み屋に行った

行きつけの居酒屋、と言うか屋台だな。大将とライン交換しているので、営業再開したときには連絡くれるように言ってたのだけれど、一行に連絡が無いのでこちらから問い合わせたら開いてるとのこと。

行って話をしてたのだけれど、やっぱ微妙な状況らしく、表立って営業せずにゲリラ的に営業しているのだそう。と言っても狭いカウンターはあっという間に満席で、いわゆる三密状態。

他の屋台がガラガラにも関わらず、この店だけが繁盛していると言うのは、やっぱり良い店なんだな、と実感。俺も数少ない居酒屋に行くチャンスをどう使おうかと思案して、結局この店に来たわけだが、多分他のお客も同じなんだろうな。

もうホント何年独り飲みやってるかな。同僚とかと飲んでも、結局心を癒すためには独り飲みが必要。脳を麻痺させて、2時間だけの別世界。

出張も自粛されてて、出張先で寂れた居酒屋に行くって言う趣味が全然出来てなくて、つらかったけど少し癒された。

全方位防御は無理→ノーガード戦法

検察庁の定年延長の件。なんかすげー違和感だらけなんだけど。最初の黒川さんの定年延長ありきのスタートから、世論に負けて引っ込めたところまではまだ良しとしても、定年延長自体は誰も反対してなかったじゃん。黒川さん有りきが問題で、定年延長は時代の流れだよなって感じだった。

更にはその後、文春砲を浴びて掛けマージャン発覚。だけど、朝日新聞と産経新聞の記者はお咎め無しなのか。黒川さんには退職金返上しろと言っておいて。

黒川さんの退職金も6000万とかちょっと俺みたいな零細企業リーマンには信じられない金額だけどさ。国が確か2000万貯金しろって言ってたから、せいぜい2000万くらいの退職金でいいんじゃないの。

あと、この掛けマージャンの記事が出たタイミングも、法案撤回後すぐに出てきたのもなぜなんだろう。渦中の人を表舞台から降ろしてハイ終わり、としたいのかな。

一連の動きに一貫性が無さすぎるよね。黒川さん有りきの法案通そうとしてNGなら、対象となる人員が黒川さん以降にすればよかった話だし。そもそもあれだけこだわっていた定年延長をなぜ黒川さんNGならやっぱ全部やーめた、って分かりやす過ぎだろ。もうちょっとカモフラージュしようとか思わなかったのかな。

掛けマージャンも、法曹界自体から額の問題みたいな話出てきて、いや、確かに一般的には低額の掛けマージャンは一般的に黙認かもしれないけど、それを法の番人がいっちゃダメだろ。

更には新聞記者もやってたって、新聞社としてはその記者に厳しい懲罰与えないと、読者に対して説得力ないよね。

この件については関係している組織がみんな刹那的と言うか場当たり的と言うか、一貫性のないことばかりしてる。どこも大きくて立派な組織だと思うんだけどなあ。

ちょっと前に安部首相が星野源のビデオとともに犬を抱っこして登場した国民の神経逆なでしまくった動画があったけど、それも含めて組織内でこういうアウトプットしちゃダメですよーと言う歯止めが組織内にないのかな。

ブラック企業勤めの俺の予想としては、危機感抱いている人はいるけど権限がないのか、所属している組織自体にもう嫌気がさして止めようとしていないのか。

でもね、何となく分からないでもない。どんな対応したって、文句言われるのが今の時代。全方位360度全ての批判に耐えうる対応とか方針って存在しない。

存在しないのだから、そんなことにリソースを使うくらいなら刹那的な対応をして時間を稼ぎ、忘れてもらう方が良い、そういう対応が様々な選択肢の中で一番マシだとどの組織も感じ始めてるのじゃないかな。

でも、本来は誰かに文句を言われようと、俺はこの方針で行く、と言う強い思いがある組織が正しいし、社員のモチベーションも上がると思う。その方針が私腹を肥やすことでなく、世のため、人のためを最終目標にしていれば、多少軌道修正は必要かも知れないけど、世の中に受け入れられると思うのだけれど。

夢とは何か

数あるブログのエントリで一番どうでも良いのが寝てる時に見た夢について語っているやつなのだが、ちょっと今回は昨夜見た夢を語りたい。

メルカリ的なネットの個人売買サイトで本を購入したのだが、その後、相手から「図書館から持ってくるので少し時間下さい」と言うメッセージを受け取る。俺としては「図書館の本を転売するって!?」と物凄いショックを受けた(もちろん夢の話)。

で、目が覚めて思ったのだけれどメルカリで図書館の本を借りてそのまま販売なんて、とても俺は思いつかない。夢が俺の知識とか考え方とかを反映していたとしても、ちょっとそれはあり得ないんじゃないかって。もっと簡単に書くと、俺の脳が持ってるローカルフォルダとアルゴリズムじゃ出せない考え方だと思う。

過去にもそういうトンデモナイ話を夢で見て、びっくりすることがある。あれらの夢が俺の経験と考え方だけでジェネレートされたとはとても信じられないのだけれど。

で、俺が前々から思っていることなんだけど、夢とはパラレルワールドの出来事を覗き見しているんだ。ちょっと違う俺が住む世界を夢で見てる。逆に俺の現実も別の世界の俺が夢として見てる。

つまり、パラレルワールドに存在する無数の俺(無数ではなく、有限かも知れないけど)はオンラインで繋がっていて、夢と言うツールでお互いのワールドを見ることができる。

そう考えると、俺が予想だにしない出来事や考え方が夢に出てきたり、或いは特定の風景が何回かの夢で再登場を繰り返すのも理解できる。

多分この俺の仮説はだいぶ未来にならないと実証されないと思うけど、おそらく数百年後の科学者がこのエントリを見てびっくりするはず。

光学迷彩な人

Aさんは存在そのものが虚無で、私はその虚無へ毎回自分の何かをひたすら放り込む、という作業をしていた。この、存在自体が「虚無」という人がたまにいる。物質的には人の形をしているけれど中身がまったくなく、その人の生の実態はほとんどなく、他人の名声、知人の人脈などに寄生して、そこからエネルギーを得、それをまた別の人に寄生するためのエネルギーにする。つまり本人はエネルギーの転換機能として存在しているだけでその人の生命の本質を見ることはない。そんな寄生人が話すのをよく聞いていると中身がまったくないにも関わらず、周囲の人は驚くほどそれに気づいてないことが多い。人の姿をした得体の知れない化け物が座っていて、周りの人間が「わぁ!すごいですね!」と褒め称える、という光景がたまに展開されている。

駄文にゅうす経由にて。うわぁ、いるいるこういう人。光学迷彩を着てるみたいに、一方から入った情報をそのまま透過させて反対側へ出力してるだけで、それがその人すべてを構成しているような人。こういう人って確かにエネルギー吸収されるんだよね。俺的にはドラゴンボールに出てくる人造人間19号と20号をイメージするね。他人のエネルギーを自分のものにしてる。

でもある意味こういう人って今の時代だからこそ出てきたのかも知れない。何も生み出さない、情報を右から左に動かすだけで生きていける。俺の場合は上司がそうだったけど、結局何もしないことが会社のほぼ全員にバレて、誰も情報を入力しなくなった。そうなると出力も出来なくなるわけで、ほぼ機能停止状態。過去に何らかの経験とかノウハウを貯め込んでおけばそれを活用できる場もあったろうに。

P.S.別件ですが…先日メールフォームからURLとパスワード送っていただきました某お方へ、ちゃんと見てますよ!

中身のない社会性生物

人と言うのは、それまで出会ってきた人たちがごちゃまぜになった結果物だと思ってる。だけど、ネット時代になって、面白い話や考え方、ユーモアなどを浴びるように受け続けているうちに、人は単に中身のない、外に他人とネット情報を貼り付けただけの物体になっているような気がする。

昔は、会える人も限定的だったので、周りの環境や会う人の影響はかなり大きかったと思う。極論を言えば、5人しか会わなければ5人のなかで一番影響力の強い人50%、残り4人で50%の混合物になっていただろう。

これが今や数千とか数万の人の個片の集まりになってくると、おそらく人のパーソナリティは画一化されてくる。統計上、n数を増やせば平均化していくのは当たり前。そして、必要な場所と人に必要なパーソナリティを見せて、また別の場所では別のパーソナリティを提示、いわゆる「俺/私はこういうキャラだから」を全方位的に展開を始める。

そんな人たちは多分、自分が一体何者なのか、何なのか分からなくなってくる。独りになる時間があれば、それをもう一回自分で掘り下げていくのだろうけど、スマホがあれば起きてすぐ、寝る直前までインスタントな暇つぶしができるのだろう。

更にネットでは自分の好きなこと、モノ、考え方だけを浴び続けることが出来る。そこで全然異質なものに出会って、影響を受けるストレスを回避し生き続けることが可能だ。

そうやって、挫折もストレスもなく、いいねとフォロー数を追いかける何かの社会性生物になるのだろう。そしてこれはきっと止められない。

無敵の人はやっぱり増える

生ける屍の結末: 「黒子のバスケ」脅迫事件の全真相を読みなおす。その中で「両親や育成環境に責任転嫁して、心の平衡を保つ精神的勝利法」と書いてあって、ああ、何となくわかるなと思った。

灰色の世界にいるより、真っ暗な世界が生きやすい。絶望と希望の入り混じった世界より、絶望だけの世界の方が住みやすい。全ての他のせいにして、精神的に引きこもった方が生きやすい。

人は言っていることが正しいとは限らない。自分で自分の気持ちを言っているつもりが、本心はそうではない。死にたいという人は生きたいし、人を遠ざける発言ばかりしている人は本当は人にもっと近くに来て欲しい。

でもそういう希望を持ちながら生きていくことが、とても苦しい。苦しすぎて、息をするのもきつくなってくるなら、いっそのこともう全てを諦めて生きた方が楽になると思い始める。

誰かと繋がりたいけど、今や他人の時間も争奪戦。サブスクで提供されるサービス、SNSでは世界中の人と繋がり、マッチングアプリで世界中の人と競争。身近な知合いや友人の時間を消費させるのも気がひけるし、俺にそんな価値があるのかと疑問を持つ。

争奪戦に参加している人々は、秒単位でキャラ変換。そこに継続的な人間性はなく、刹那刹那で切り替えていく。タブブラウザを切り替えるように、凄惨な事故ニュースの後にグルメ情報が来るように。

時間と言う概念が無く、ただただ切り替えていくキャラクター。それでみんな生きやすくなったの?本当の自分探しで終着駅に辿り着けたの?

実際には、今までローカルでしか比較されなかった人々は、フラット化した世界でグローバルな土俵の上で序列化されるようになった。なかなか努力しても序列の上に上がれず、気を抜くとすぐに脱落していく。

そんな中で、彼の言う負け組未満、そもそも負け組に入るために努力をしないと言うのは、非常にコストパフォーマンスの良い戦略かも知れない。と言うことは、無敵の人はこれからも増え続ける。フラット化した土俵に乗ること自体を止めてしまった方が楽だから。

「生ける屍の結末: 「黒子のバスケ」脅迫事件の全真相」を読んだ

先日のエントリから、結局気になって本を買ってしまった。読み進めていたのだけれど、最初は格差社会の犠牲者と言う見方だったのが、読み進めるにつれ、これは虐待と無視の結果なんだと思った。

それにしても文章が読みやすくて、この人は環境さえきちんとしたところにいれば仕事も出来る人だったんじゃないかと思う。そういう意味ではもったいない。家族と学校が彼の才能を潰してしまったのだ。

しかし、皮肉なことに、そういう裏街道を歩き続けることと地頭の良さで今回、こうやって外に向かって出ることができたんだな。

しかし、硫化水素自殺を参考に脅迫を考えていたなんて、もしかしたら俺のサイトも見られてかもしれないな、と思った。

TO:硫化水素自殺を発案された某お方へ

まだこのサイトをご覧になられていますか?あなたの発案した硫化水素の発生方法が、今回は自殺と言う形ではなく、世の中への脅迫方法の一つとして展開され、使用されてます。詳細は上記リンクの本を是非読んでもらえればと思います。あと、個人的な思いですが、またサイト再開して欲しいですねー。一応、防弾ホスティングのリストも置いておきますね。

自分を殺すにしろ、他人を殺すにしろ、楽に死ねると言う需要はずっとあるんだな。ただ、この犯人も書いていたけど、自分が死ぬことに対して、悲しむ人が誰かいると言うのは犯罪の抑止力になり得る。彼の逮捕後、出廷した際の服は拘置所で与えられたものと言うことが、彼を愛している人がいない証明になっていてそれが言葉で書かれるより事実として悲しかった。

彼は出所後、自殺するのだろうか。彼のつながりが遠い観客しかいなければ、彼は観客の好奇心を満足させるために自殺するのだろうか。かれはこの犯罪の実行者として、他の論客が持ちえない当事者としての意見と考えを出せる稀有な存在になったと思うのだが。