高層ビルでオシャレに勤めたかった

先日、某大都市の中心、高層ビルの上層階へ足を踏み入れる機会があった。ちょうど昼頃で、ランチを食べに出てきた一流企業のサラリーマンとすれ違った。冷房の効いた部屋で一日過ごすだろう彼らは、オシャレなジャケットを身に着け、OL達と同じ上層階にある俺からすればランチには高すぎるだろうと思われる価格帯の店へと消えていった。

今の俺は、零細企業の平社員。日本各地のどちらかと言うと田舎ばかり廻っている人生。誰しもが考える、もし俺の人生が違う道だったら。もしかしたらオシャレな高層ビルで働き、高層マンションでリッチに暮らす人生もあったかも知れない。

タラレバの思いはきっと誰にでもあると思う。50年近くも生きてきて、若い時にはきっとそういう別の人生への分岐点が用意されていてはずなのに、俺が気づいて選択したこと、気づかず選択しなかったことの結果が今の人生。

金がないから安い腕時計で満足してるんじゃないか。金が無いから鄙びた温泉と安い地元の居酒屋で我慢してるんじゃないか。本当は金があれば、ベンツに乗り、ロレックスを付けて銀座へ繰り出したいんじゃないのか。

今更取り返しのつかない人生だし、今から変えるのは若い時以上に大変。好むと好まらずと関わらず、今の立ち位置を受け入れなくちゃいけない。

俺が思うのは、嫁さんも同じことを考えているじゃないのかってこと。俺と結婚しなければ、若い時の美貌でもっと経済力のある亭主を捕まえられたのじゃないのか。俺が知らない、もっと別の選択肢を持っていたかも知れない。

世の中には考えてもどうしようもない取り留めのないことだらけ。そんなことを考えたって、無駄でしかないけど、でもふと高層ビルで見た俺の憧れた生活を目の前に見せつけられて、そんなことを考えた。

腕時計からの雑文

先日のtimexの時計をヤフオクで購入の続き。その後、街の時計屋で電池交換を実施。お店の人曰く、電圧落ちてますねーとのことで交換しといて良かった。そのまま出張に着けていったのだけれど、アラフィフのオッサンが3,000円の腕時計って見る人が見たら貧相なヤツだなと思われるのだろうな。しかしながら俺としては全然満足してる。日付+曜日+3針クォーツと言う必要最低限+シンプルな機能。全然これってありじゃん。

timexの腕時計って電池ってどのくらい持つのか調べたんだけど、1~5年と非常に幅が広い。まあ、2-3年に一回程度で良さそうだね。昔はそんな先のことはもう覚えるの大変だったけど、googleカレンダー使うのを習慣づけたらそこに予定放り込んどけば良いので楽だね。俺は仕事に着けていく時計は止まる前に交換するようにしてるので忘れないようにカレンダーに入れておく。

移動中に周りの人たちの腕時計状況をみて行ったけど、最近は腕時計していない、もしくはスマートウォッチしてるって人たちが多いね。あとはG-shockも多い。ブランド時計としては定番のロレックス、そしてタグホイヤーもいたかな。

若い人に聞いてみたけど、何も考えずにロレックス、オメガしてるのはカッコ悪いらしい。語れるくらい好きだとかだったら基本その人の趣味なので別にOK。

身に着けるものや持っているものより、今はどんな写真をインスタとかSNSに上げられるかが重要らしい。お金に入手できるものより、お金だけでは入手できないもの、誰でも行けないところ、と言う希少性が必要だってさ。

一昔前の「みんな持ってるからお前も持て」と言う圧力の代わりに「お前らとは一味違う俺/私」と言う競争に参加する圧力があるらしい。

なんか話が時計からそれてしまった。

timexの時計をヤフオクで購入

実に20年ぶりのヤフオク使用。

t20031と言う日本未発売の品番で、青い文字盤の曜日と日付の表示があるスタンダードなデザイン。以前から目をつけていて、ebayとかでもチェックしていたけど、なかなか踏ん切りがつかず、購入がずっと先送りになってた。

今回はヤフオクで1000円引きのクーポンが発行されたのと、同僚に欲しいものがあるなら今、買わないともう手に入らないと言う話をして無責任にも散財を勧めておきながら、それは俺にも当てはまるな、と思い購入。6000円くらいが相場なのだが、それを3500円くらいで購入。実物を見ずに購入したのでちょっと不安だったが、思ってた以上にデザインは良かった。特に色遣いが気に入った。ただ、ベルトが男性向けにしては短いので腕が太い人は注意が必要。っていうかアメリカ人はこのベルトサイズで腕入るのか?俺は腕が細いのでサイズ調整無しでちょうどよかったけど。

この品番のデビューは2011年。購入したものはどうやら外箱に記載された西暦から読み取るに製造から5年程度は経過していると思われ、早急に電池は交換しようと思ってる。仕事に付けていこうと思っているので途中で止まったらシャレにならない。

結構腕時計好きなのだが、好きなのがswatchとかチプカシとかで、しかもクォーツ派、更にデザインはシンプルな3針タイプが好きなので、付けている時計からは時計好きと思われず、むしろ時計にこだわらない派によく思われる。ただ、swatchは秒針の音がうるさすぎ。timexも秒針の音は結構聞こえるが、こちらはまだ許容範囲だよね。日本製がやっぱ一番秒針の音は静か。

高級腕時計も物色した時期もあったのだが、どうしても腕時計にそんなにお金を払う気になれず、大体1万円以下でいつも探してしまう。

独自ドメイン+wordpressが無料

無料ドメインのFreenomと合わせて使えば完全無料の独自ドメイン+wordpressって言う環境が手に入る(俺はまだ実証してないけど)。

この情報が拡散されていくと個人相手にレンタルブログとかレン鯖してる業者はつらいよな。とは言うものの、実際に作業を行うにはある程度の知識が必要なので、いきなり大挙してこの方法へ移行するとは考えにくいけど。

先日ブログを移転するときに思ったけど、やっぱ知識って大切だよな。何か新しい分野に手を出すときはある程度の知識を自分から取りに行かないと、初心者を騙そうとする業者に引っかかってしまう、或いは割高な商品を使ってしまう。こういう無料の超お得情報も、この情報にアクセスする情報取得力と、それを実行できるだけの知識が無いと対応できない。

話ちょっとそれるけどさ、そういえば最近のオジサン、情報に対する受け身態勢が酷くない?具体的に言うと、何か未知の分野とかを他人に聞く際、「俺に分かるように説明するのはお前の責任だ」みたいなの。

マジで「俺に分かるように説明できないのはお前のスキル不足」みたいな態度で出てくる。自分の知識不足は無かったことにして、相手のスキルに問題がある、と言う感じ。見てると段々とみんなそのオジサンを相手にしなくなる。せっかく教えているのになぜこちらが怒られなきゃいけないのか、みたいな。

あれはTVの情報番組の影響が大きいと思ってる。TVの情報番組ってホントに視聴者バカにしてんのか、と言うくらい分かりやすく作ってる。ああいうのに汚染されていくと、受け身態勢が醸成されていくんだろうな。

かくいう俺もオジサンなのだけれど、知らず知らずに同じようなことやってる可能性大。気を付けないと。

一人旅日記(静岡&山梨)

久々に一人旅に出かけた。今回は2泊、静岡と山梨へと出かけた。

一軒目は静岡県掛川市の旅館 梅木屋に宿泊。ここは街中にある小さな旅館。夕方に窓を開けて畳の上でうたたねしていると、外から住人達の声や生活音が聞こえてくる。過去へとタイムスリップしたような気になる。

掛川はお気に入りの街。駅から徒歩圏内に繁華街がある。チェーン系の居酒屋は駅前に少しあるだけで、後は地元の小さな居酒屋がメイン。今まで何度か訪問しているが、飲み屋でハズレが無く、どこも美味しい。静岡市や浜松市に泊まるくらいなら、少し無理しても掛川へ宿を取る。しかも、掛川には「開運」と言ううまい地酒もある。

日が暮れそうなころに起きて食事に出かける。「ちっち」と言う小さな居酒屋。開店早々みたいで先客はゼロ。一人でビールとつまみを頂いていると常連と思しきお爺さん?オジサン?くらいの人が入ってくる。何だかやたら女将さんに感謝を表してて、多分この人はこの居酒屋が大切なんだろうな、と感じた。俺も気持ち分かるぞ、と心の中で激しく同意。その後、宿に帰り風呂に入って就寝。

翌日は山梨は塩山温泉にある宏地荘に宿泊。ここは塩山温泉 宏池荘にひとり泊(18) – 温泉好きのお湯を見て宿を決めた。内風呂への入り口にはおばあさんが常駐してて、分からないことはこの人に聞くと教えてくれる。ホテルで言うところのコンシェルジュ。

お風呂は水風呂が併設してあって、そちらが源泉とのこと。水風呂と交互に入ったりしながら楽しむ。

近くの居酒屋「しおかわ」へ行く。地元のお客さんの会話で「ムジン」と言う言葉をよく聞くので何だろうと調べたら山梨独特の風習で「無尽」もしくは「無尽会」があり、定期的に会合や飲み会を開くことらしい。

昼間、鈍行列車で移動し、夕方にこじんまりした旅館(和室、出来れば風呂は温泉が良い)に宿泊、夜に近場の居酒屋で飲む、と言うのが俺にとっての最高の旅。

透明な存在も無敵な人も

また無差別殺人が起きて、無敵の人が話題になる。TVはますます規制を厳しくして、不審者を取り締まれと叫ぶ。

20代の頃に、社会に敵意しかもっていない時期があった。知り合いが誰もいない場所で仕事とアパートの往復しかない毎日。休みの日でも、しゃべる相手もいなくて友達もいない、何もない週末。

なぜ俺だけがこんな目に合うのか。周りの人々、道行く人々、みんな楽しそう。そのうち、周りの風景はTVの向こう側のように現実感が無くなってくる。あの少年が言っていた「透明な存在」が理解できる。俺は誰にも見えない透明な存在だった。

孤独は人を追い詰めていく。距離を詰めようにも詰め方が分からない、距離を詰めて拒絶されたらどうしよう。俺は孤独に生きると決めて自分から敢えて人間関係を切っていく。

しかし、結局は挫折する。人は孤独では生きられない。

無敵の人を否定し、拒絶する。それはもしかしたらあなたの親族かも知れない、子供かも知れない。それでも俺たちは無敵の人を拒絶するのか。それが真実の解決法なのか。

キモくて金のないオッサンは誰にも見えていない。見えているけど認識されない。

でも、こうも思う。オッサンもオバサンも男女関係なく人は年を取れば変化していかなくてはいけない。誰かに愛された子供時代はとうに過ぎ去り、今度は愛する番。例え誰にも愛されなくても、誰にも愛されない人を愛さなければいけない。誰かが背負っていた義務を今度は俺たちが背負わなければいけない。誰もそんなことは教えてくれない。学校も職場もTVも新聞もネットも。

無敵の人を拒絶する人たちも、誰かが背負うべき義務を拒否してる。そういう人たちを遠ざけるべきではない。

何も失うものが無い人は、同じ人を助けられるはず。自分と同じ境遇の人がいることを知るだけで、少しは心休まるはず。

苦痛の山を越えるのはコスパ悪い

多分、これは自分を誰かと区別された特別な人間として見られることが苦痛と言っているのだろうけど、いやいや、皆さんネット界では他人とは違うことに精を出す優越感ゲームに絶賛参加中じゃん。

仮想世界で他人と張り合って疲れたのでリアル世界では匿名で扱ってほしいって何だかおかしなことになってる。なんでリアル世界で個性を持った一人の人間として扱われて嫌な気がするんだろう。

こういうのって慣れだと思う。最初は苦痛でも何回も繰り返していると慣れてきて、最後のその行動が完全自動化されて薄い知合いとの会話も何も考えなくても対応できるようになる。その最先端を走っているのがオバサマ方。あれ、話しかけてるけど人の話は聞いてないからね。まあ、オジサンも一緒か。

世の中のことって苦痛でもしばらくやってみないとその素晴らしさが分からないことがある。途中の苦痛の山を越えていかないとその先の遥かに広がる新世界が見られないと言うか。

今はそういう苦痛の山を越えていくこと自体、コスパが悪いと思われてる。また、苦痛の山を越えなくても周りには魅力的で平坦な世界が一杯広がっているから敢えて苦痛の山を越える必要はないと感じるんだろうな。

人生においても、最近は働き方改革とかで残業も禁止、きつい言葉も禁止になってる。もちろん、人を死に追いやるような行き過ぎは問題だと思うけど、期間限定で忙しいとか、緊張感のある仕事とかも必要だし、そういうことが人を成長させていく。

最近の若い人を見てると覇気があんまりないし、指導とか助言も冗談でかわされることが多くて、大丈夫かと思う。そういう人って年の割には発言が幼くて、たまに見てるこちらが恥かしくなる時がある。

一生、苦痛の山を越えていく機会の無い人生なら苦痛の山なんか越える必要はないかもしれないけど、若い時ずっと平坦な人生で後半で苦痛の山に当たると大変。

それに、やっぱりある程度苦労した方が人の気持ちが理解できる。俺の知合いに楽して今まで生きてきたと思われる人がいるけど、そういう人に限って俺は凄く苦労したって言うんだよな。そして他の人を馬鹿にする。

本当に苦労した人は、苦労したことを誰にも言わなくて、そして明るいんだよな。だから苦労してない人に馬鹿にされてるけど、はたから見てるとその明るい苦労人を馬鹿にしてるそいつが馬鹿に見えるんだよな。

Transform / Howard Jones

2015年にクラウドファンディングで発表した「Engage」以来のアルバムなので約4年ぶりのニューアルバム。聴いた感じではルパート・ハインがプロデュースした1st, 2ndアルバムの雰囲気が少しだけあって、何だかどこか懐かしい雰囲気があった。

Howard Jonesは高校時代に2ndアルバム「Dream Into Action」を聴いて以来のファンなので実に30年以上聴いてる。俺の人生はhowardの曲に彩られた人生と言っても過言ではない。

とは言うものの、実際には名盤と自信を持って俺が言えるのは2nd「Dream Into Action」、4th「Cross That Line」、7th「Angels &Lovers」の3枚だ。8th以降のアルバムは、確かにHowardの類まれなるソングライティングの実力は発揮されているのだけれど、上記3枚の名盤にある「Howardの構築する心地よい独自の世界」をあまり感じることも無く、購入後、数か月で聴かなくなってしまっていた。(名盤と紹介した上記3枚は数年にわたる聞き込みに耐えるクオリティだった)

で、今回のアルバムだが、先ほど書いた「心地よい独自の世界」を強烈に持った一曲がある。6曲目の「Tin Man Song」だ。Youtubeに曲が上がってないので紹介できないのが大変残念。

2nd収録の「Is There a Difference?」、6thアルバム「Working in the Backroom」収録の「Left No Evidence」、B面コレクションに収録された「You Say」、そして発売から20年以上経過した今でも聴いている7th収録の「Back In Your Life」に共通する、心地よい小部屋にいるようなHowardオリジナルの替えの効かない世界が展開される。この「Tin Man Song」を聴いて、そうだ、そうだよ!Howardの曲はこういう世界だった!と物凄く腑に落ちるとともに、このミディアムリズムが俺の心と凄くフィットするんだ!と感動した。

ちなみにTin Manと言うのはなじみのない言葉なので調べた見たら、オズの魔法使いに出てくるブリキのきこりのことだそうだ。以下のサイトで詳しい説明が載ってた。

ブリキの木こりは、元々は人間でした。(もうこの段階で、かなりビックリしたのを覚えています)

悪い魔女に呪いをかけられた木こりは、木を切る仕事をする度に、斧のコントロールを失って、自ら自分の身体を傷つける羽目になります。手や足という、身体パーツを次々と失い、その度に木こりは、失ったパーツをブリキ製のパーツに取り替えていきます。

ハードなSF等でもテーマとして扱われるような、深遠な課題です。「機械と人間の境目はどこにあるのか?」問題です。
この物語は、そんな問題知ったこっちゃないと言わんばかりに、ブリキ男の実質的な「死」については一切触れずに、「こうして無事なのは胴体だけとなりました」と、強引に押し通してしまいます。

上記リンクからの引用3点だけど、これを読むと2ndに収録された曲「Automaton」を彷彿とさせる。何かこういうのもファンとしては嬉しいね。

7月末~8月頭にかけてビルボードでライブを予定しているけど、このTin Man Songを聴くためだけに足を運んでもいいかなと思ってる。

NGT48の件

山口真帆の卒業?でようやくいったん終息したかと思ったらまた炎上ネタ投稿するってどういうこと?

ずっとウォッチしてるけど、運営側の対応があまりにもマズイ。メンバーは子供みたいな年齢の人ばかりなので、ある程度メンバー間のトラブルは発生するだろうけど、そこは親代わりにきっちり教え込まないといけない。一部のメンバーにはそれが届かなかったのか、やらなかったのか。

まあ、利害関係者が多そうなので、運営側も思い通りに子供たちをコントロールできなかったところはあるんだろうけど、そこは毅然とした態度で対応すべきだろう。

それにしても、各所で言われている通りNGT48を未だに存続させる意味って何だろう。もう集金システムとしては破綻してると思うのだけれど。

残ってるメンバーが運営側の急所を握ってて、解散するならそれをバラす、とか言って脅しているのだろうか。NGT48の残りメンバーが他のAKBグループへ転籍させろ、とか言っててそれに運営側が難色を示しているとか。

ここはやっぱ大人の運営側がどちらにしても覚悟を示す必要があると思うな。AKB全体を揺るがすようなスキャンダルがNGT48から発信されるとしても、毅然として要求を断るような。

と言うような妄想でした。

いつだってフロンティアに出ていく

怒られなくなったのは年のせいかと思っていたけど、実は全年齢的に叱られる機会が減ってると言う話。そういえば、昔は口うるさいオジサンとかお爺さんとかいたよな。年を経るごとにそういう人って減ってきた。どちらかと言うと叱るよりコミュニケーションを止める人が増えてきたよな。うるさく言うくらいなら関係自体を切った方がコスパが良いと言うことなんだろう。

同い年くらいで人間的に問題がある人が少しいる。おそらく、若い時に年配者や先輩からその人間性について指摘があったものの、真正面から受け取らず、受け流す技術だけが発達して今まで来た人。

もうオジサンになれば、誰もそれを指摘しない。昔、口うるさく指摘してきた先人たちは不在となり、同年代と年下はコスパを考えれば口うるさく言ってハラスメントと判断されるよりは関係性を極力薄くした方が良い。

一番大事なのは「何を」するかではなくて、「どのぐらい」するかだ、と。健康とは原理の問題ではなくて程度の問題なんだ

上記引用は健康問題について記載されたものだけど、人の関係性と成長もそうだと思う。全く人と関わらないことと、あまりにも濃密な人間関係。全く負荷のない仕事と、負荷が酷い仕事。どちらも良くなくて、程よい範囲と言うのがあるはずだ。

時代は人との関係性が無くなり、仕事の負荷も減っていく中で、また揺り戻しが来るんじゃないかって思う。それはそういう時代としてくるのか、一部地域、集団内部で起きるのかは分からないけど。

俺も最近、誰にも叱られることが少なくて、正直怖くてしょうがない。叱られない代わりに、周りで悪い評価が独り歩きしているのではないかと。

どうあれ、「中年になったら誰も叱ってくれない」社会、いや、「若いうちから相互干渉に非常にセンシティブな社会」では、私たちは相互干渉が当たり前だった頃に比べてずっと高い自覚力と自律性を求められるのだろう。しかし、現代の40代以降を見ればわかるように、それは誰もがやってのけられることではないし、完璧にやってのけられることでもない。私も自信は全く無い。ここらへんで「そんじゃーね。」と言って匙を投げたくなってしまう。


だけど、叱られない社会をみんなが望んだ。 – シロクマの屑籠

一つ言えるのは、40代以降は得たものを失っていくフェーズに入ってきてると言うことだ。子供は育ち、親は死ぬ。会社は退職し、体力も気力も減っていく。今までとは違う撤退戦をどううまく戦うかと言う時期だ。

年を取っても人生に繰り返しは無く、死ぬまでフロンティアにチャレンジできると良い方向に考えて、前向きに、明るくと言う気概、そして周りの人々への感謝とタフさだけは忘れずに生きたい。