独自ドメイン+wordpressが無料

無料ドメインのFreenomと合わせて使えば完全無料の独自ドメイン+wordpressって言う環境が手に入る(俺はまだ実証してないけど)。

この情報が拡散されていくと個人相手にレンタルブログとかレン鯖してる業者はつらいよな。とは言うものの、実際に作業を行うにはある程度の知識が必要なので、いきなり大挙してこの方法へ移行するとは考えにくいけど。

先日ブログを移転するときに思ったけど、やっぱ知識って大切だよな。何か新しい分野に手を出すときはある程度の知識を自分から取りに行かないと、初心者を騙そうとする業者に引っかかってしまう、或いは割高な商品を使ってしまう。こういう無料の超お得情報も、この情報にアクセスする情報取得力と、それを実行できるだけの知識が無いと対応できない。

話ちょっとそれるけどさ、そういえば最近のオジサン、情報に対する受け身態勢が酷くない?具体的に言うと、何か未知の分野とかを他人に聞く際、「俺に分かるように説明するのはお前の責任だ」みたいなの。

マジで「俺に分かるように説明できないのはお前のスキル不足」みたいな態度で出てくる。自分の知識不足は無かったことにして、相手のスキルに問題がある、と言う感じ。見てると段々とみんなそのオジサンを相手にしなくなる。せっかく教えているのになぜこちらが怒られなきゃいけないのか、みたいな。

あれはTVの情報番組の影響が大きいと思ってる。TVの情報番組ってホントに視聴者バカにしてんのか、と言うくらい分かりやすく作ってる。ああいうのに汚染されていくと、受け身態勢が醸成されていくんだろうな。

かくいう俺もオジサンなのだけれど、知らず知らずに同じようなことやってる可能性大。気を付けないと。

一人旅日記(静岡&山梨)

久々に一人旅に出かけた。今回は2泊、静岡と山梨へと出かけた。

一軒目は静岡県掛川市の旅館 梅木屋に宿泊。ここは街中にある小さな旅館。夕方に窓を開けて畳の上でうたたねしていると、外から住人達の声や生活音が聞こえてくる。過去へとタイムスリップしたような気になる。

掛川はお気に入りの街。駅から徒歩圏内に繁華街がある。チェーン系の居酒屋は駅前に少しあるだけで、後は地元の小さな居酒屋がメイン。今まで何度か訪問しているが、飲み屋でハズレが無く、どこも美味しい。静岡市や浜松市に泊まるくらいなら、少し無理しても掛川へ宿を取る。しかも、掛川には「開運」と言ううまい地酒もある。

日が暮れそうなころに起きて食事に出かける。「ちっち」と言う小さな居酒屋。開店早々みたいで先客はゼロ。一人でビールとつまみを頂いていると常連と思しきお爺さん?オジサン?くらいの人が入ってくる。何だかやたら女将さんに感謝を表してて、多分この人はこの居酒屋が大切なんだろうな、と感じた。俺も気持ち分かるぞ、と心の中で激しく同意。その後、宿に帰り風呂に入って就寝。

翌日は山梨は塩山温泉にある宏地荘に宿泊。ここは塩山温泉 宏池荘にひとり泊(18) – 温泉好きのお湯を見て宿を決めた。内風呂への入り口にはおばあさんが常駐してて、分からないことはこの人に聞くと教えてくれる。ホテルで言うところのコンシェルジュ。

お風呂は水風呂が併設してあって、そちらが源泉とのこと。水風呂と交互に入ったりしながら楽しむ。

近くの居酒屋「しおかわ」へ行く。地元のお客さんの会話で「ムジン」と言う言葉をよく聞くので何だろうと調べたら山梨独特の風習で「無尽」もしくは「無尽会」があり、定期的に会合や飲み会を開くことらしい。

昼間、鈍行列車で移動し、夕方にこじんまりした旅館(和室、出来れば風呂は温泉が良い)に宿泊、夜に近場の居酒屋で飲む、と言うのが俺にとっての最高の旅。

透明な存在も無敵な人も

また無差別殺人が起きて、無敵の人が話題になる。TVはますます規制を厳しくして、不審者を取り締まれと叫ぶ。

20代の頃に、社会に敵意しかもっていない時期があった。知り合いが誰もいない場所で仕事とアパートの往復しかない毎日。休みの日でも、しゃべる相手もいなくて友達もいない、何もない週末。

なぜ俺だけがこんな目に合うのか。周りの人々、道行く人々、みんな楽しそう。そのうち、周りの風景はTVの向こう側のように現実感が無くなってくる。あの少年が言っていた「透明な存在」が理解できる。俺は誰にも見えない透明な存在だった。

孤独は人を追い詰めていく。距離を詰めようにも詰め方が分からない、距離を詰めて拒絶されたらどうしよう。俺は孤独に生きると決めて自分から敢えて人間関係を切っていく。

しかし、結局は挫折する。人は孤独では生きられない。

無敵の人を否定し、拒絶する。それはもしかしたらあなたの親族かも知れない、子供かも知れない。それでも俺たちは無敵の人を拒絶するのか。それが真実の解決法なのか。

キモくて金のないオッサンは誰にも見えていない。見えているけど認識されない。

でも、こうも思う。オッサンもオバサンも男女関係なく人は年を取れば変化していかなくてはいけない。誰かに愛された子供時代はとうに過ぎ去り、今度は愛する番。例え誰にも愛されなくても、誰にも愛されない人を愛さなければいけない。誰かが背負っていた義務を今度は俺たちが背負わなければいけない。誰もそんなことは教えてくれない。学校も職場もTVも新聞もネットも。

無敵の人を拒絶する人たちも、誰かが背負うべき義務を拒否してる。そういう人たちを遠ざけるべきではない。

何も失うものが無い人は、同じ人を助けられるはず。自分と同じ境遇の人がいることを知るだけで、少しは心休まるはず。

苦痛の山を越えるのはコスパ悪い

多分、これは自分を誰かと区別された特別な人間として見られることが苦痛と言っているのだろうけど、いやいや、皆さんネット界では他人とは違うことに精を出す優越感ゲームに絶賛参加中じゃん。

仮想世界で他人と張り合って疲れたのでリアル世界では匿名で扱ってほしいって何だかおかしなことになってる。なんでリアル世界で個性を持った一人の人間として扱われて嫌な気がするんだろう。

こういうのって慣れだと思う。最初は苦痛でも何回も繰り返していると慣れてきて、最後のその行動が完全自動化されて薄い知合いとの会話も何も考えなくても対応できるようになる。その最先端を走っているのがオバサマ方。あれ、話しかけてるけど人の話は聞いてないからね。まあ、オジサンも一緒か。

世の中のことって苦痛でもしばらくやってみないとその素晴らしさが分からないことがある。途中の苦痛の山を越えていかないとその先の遥かに広がる新世界が見られないと言うか。

今はそういう苦痛の山を越えていくこと自体、コスパが悪いと思われてる。また、苦痛の山を越えなくても周りには魅力的で平坦な世界が一杯広がっているから敢えて苦痛の山を越える必要はないと感じるんだろうな。

人生においても、最近は働き方改革とかで残業も禁止、きつい言葉も禁止になってる。もちろん、人を死に追いやるような行き過ぎは問題だと思うけど、期間限定で忙しいとか、緊張感のある仕事とかも必要だし、そういうことが人を成長させていく。

最近の若い人を見てると覇気があんまりないし、指導とか助言も冗談でかわされることが多くて、大丈夫かと思う。そういう人って年の割には発言が幼くて、たまに見てるこちらが恥かしくなる時がある。

一生、苦痛の山を越えていく機会の無い人生なら苦痛の山なんか越える必要はないかもしれないけど、若い時ずっと平坦な人生で後半で苦痛の山に当たると大変。

それに、やっぱりある程度苦労した方が人の気持ちが理解できる。俺の知合いに楽して今まで生きてきたと思われる人がいるけど、そういう人に限って俺は凄く苦労したって言うんだよな。そして他の人を馬鹿にする。

本当に苦労した人は、苦労したことを誰にも言わなくて、そして明るいんだよな。だから苦労してない人に馬鹿にされてるけど、はたから見てるとその明るい苦労人を馬鹿にしてるそいつが馬鹿に見えるんだよな。

Transform / Howard Jones

2015年にクラウドファンディングで発表した「Engage」以来のアルバムなので約4年ぶりのニューアルバム。聴いた感じではルパート・ハインがプロデュースした1st, 2ndアルバムの雰囲気が少しだけあって、何だかどこか懐かしい雰囲気があった。

Howard Jonesは高校時代に2ndアルバム「Dream Into Action」を聴いて以来のファンなので実に30年以上聴いてる。俺の人生はhowardの曲に彩られた人生と言っても過言ではない。

とは言うものの、実際には名盤と自信を持って俺が言えるのは2nd「Dream Into Action」、4th「Cross That Line」、7th「Angels &Lovers」の3枚だ。8th以降のアルバムは、確かにHowardの類まれなるソングライティングの実力は発揮されているのだけれど、上記3枚の名盤にある「Howardの構築する心地よい独自の世界」をあまり感じることも無く、購入後、数か月で聴かなくなってしまっていた。(名盤と紹介した上記3枚は数年にわたる聞き込みに耐えるクオリティだった)

で、今回のアルバムだが、先ほど書いた「心地よい独自の世界」を強烈に持った一曲がある。6曲目の「Tin Man Song」だ。Youtubeに曲が上がってないので紹介できないのが大変残念。

2nd収録の「Is There a Difference?」、6thアルバム「Working in the Backroom」収録の「Left No Evidence」、B面コレクションに収録された「You Say」、そして発売から20年以上経過した今でも聴いている7th収録の「Back In Your Life」に共通する、心地よい小部屋にいるようなHowardオリジナルの替えの効かない世界が展開される。この「Tin Man Song」を聴いて、そうだ、そうだよ!Howardの曲はこういう世界だった!と物凄く腑に落ちるとともに、このミディアムリズムが俺の心と凄くフィットするんだ!と感動した。

ちなみにTin Manと言うのはなじみのない言葉なので調べた見たら、オズの魔法使いに出てくるブリキのきこりのことだそうだ。以下のサイトで詳しい説明が載ってた。

ブリキの木こりは、元々は人間でした。(もうこの段階で、かなりビックリしたのを覚えています)

悪い魔女に呪いをかけられた木こりは、木を切る仕事をする度に、斧のコントロールを失って、自ら自分の身体を傷つける羽目になります。手や足という、身体パーツを次々と失い、その度に木こりは、失ったパーツをブリキ製のパーツに取り替えていきます。

ハードなSF等でもテーマとして扱われるような、深遠な課題です。「機械と人間の境目はどこにあるのか?」問題です。
この物語は、そんな問題知ったこっちゃないと言わんばかりに、ブリキ男の実質的な「死」については一切触れずに、「こうして無事なのは胴体だけとなりました」と、強引に押し通してしまいます。

上記リンクからの引用3点だけど、これを読むと2ndに収録された曲「Automaton」を彷彿とさせる。何かこういうのもファンとしては嬉しいね。

7月末~8月頭にかけてビルボードでライブを予定しているけど、このTin Man Songを聴くためだけに足を運んでもいいかなと思ってる。

NGT48の件

山口真帆の卒業?でようやくいったん終息したかと思ったらまた炎上ネタ投稿するってどういうこと?

ずっとウォッチしてるけど、運営側の対応があまりにもマズイ。メンバーは子供みたいな年齢の人ばかりなので、ある程度メンバー間のトラブルは発生するだろうけど、そこは親代わりにきっちり教え込まないといけない。一部のメンバーにはそれが届かなかったのか、やらなかったのか。

まあ、利害関係者が多そうなので、運営側も思い通りに子供たちをコントロールできなかったところはあるんだろうけど、そこは毅然とした態度で対応すべきだろう。

それにしても、各所で言われている通りNGT48を未だに存続させる意味って何だろう。もう集金システムとしては破綻してると思うのだけれど。

残ってるメンバーが運営側の急所を握ってて、解散するならそれをバラす、とか言って脅しているのだろうか。NGT48の残りメンバーが他のAKBグループへ転籍させろ、とか言っててそれに運営側が難色を示しているとか。

ここはやっぱ大人の運営側がどちらにしても覚悟を示す必要があると思うな。AKB全体を揺るがすようなスキャンダルがNGT48から発信されるとしても、毅然として要求を断るような。

と言うような妄想でした。

いつだってフロンティアに出ていく

怒られなくなったのは年のせいかと思っていたけど、実は全年齢的に叱られる機会が減ってると言う話。そういえば、昔は口うるさいオジサンとかお爺さんとかいたよな。年を経るごとにそういう人って減ってきた。どちらかと言うと叱るよりコミュニケーションを止める人が増えてきたよな。うるさく言うくらいなら関係自体を切った方がコスパが良いと言うことなんだろう。

同い年くらいで人間的に問題がある人が少しいる。おそらく、若い時に年配者や先輩からその人間性について指摘があったものの、真正面から受け取らず、受け流す技術だけが発達して今まで来た人。

もうオジサンになれば、誰もそれを指摘しない。昔、口うるさく指摘してきた先人たちは不在となり、同年代と年下はコスパを考えれば口うるさく言ってハラスメントと判断されるよりは関係性を極力薄くした方が良い。

一番大事なのは「何を」するかではなくて、「どのぐらい」するかだ、と。健康とは原理の問題ではなくて程度の問題なんだ

上記引用は健康問題について記載されたものだけど、人の関係性と成長もそうだと思う。全く人と関わらないことと、あまりにも濃密な人間関係。全く負荷のない仕事と、負荷が酷い仕事。どちらも良くなくて、程よい範囲と言うのがあるはずだ。

時代は人との関係性が無くなり、仕事の負荷も減っていく中で、また揺り戻しが来るんじゃないかって思う。それはそういう時代としてくるのか、一部地域、集団内部で起きるのかは分からないけど。

俺も最近、誰にも叱られることが少なくて、正直怖くてしょうがない。叱られない代わりに、周りで悪い評価が独り歩きしているのではないかと。

どうあれ、「中年になったら誰も叱ってくれない」社会、いや、「若いうちから相互干渉に非常にセンシティブな社会」では、私たちは相互干渉が当たり前だった頃に比べてずっと高い自覚力と自律性を求められるのだろう。しかし、現代の40代以降を見ればわかるように、それは誰もがやってのけられることではないし、完璧にやってのけられることでもない。私も自信は全く無い。ここらへんで「そんじゃーね。」と言って匙を投げたくなってしまう。


だけど、叱られない社会をみんなが望んだ。 – シロクマの屑籠

一つ言えるのは、40代以降は得たものを失っていくフェーズに入ってきてると言うことだ。子供は育ち、親は死ぬ。会社は退職し、体力も気力も減っていく。今までとは違う撤退戦をどううまく戦うかと言う時期だ。

年を取っても人生に繰り返しは無く、死ぬまでフロンティアにチャレンジできると良い方向に考えて、前向きに、明るくと言う気概、そして周りの人々への感謝とタフさだけは忘れずに生きたい。

映画「ザ・フォーリナー/復讐者」を観た

ジャッキーチェンが主演の映画を映画館で観たのって多分10代だったので、30年ぶりくらいにスクリーンでジャッキー観た。いやー、年取ったなジャッキー。

結構骨太な映画だった。副題にもなっている復讐者ってのはジャッキーだけかと思ったら、複数の復讐者がいて、悪役っぽいピアース・ブロスナンが実は一番まともで復讐から距離を置き、一応社会のルール上に乗っ取って自分の野望を叶えようとしてる。いろんな人の思惑とか陰謀を読み取りながら観ていくのは楽しかった。

ただ、心震えるようなところがあんまりなくて、心で観るより頭で観る映画だな、と思った。できれば娘との仲良しシーンはもうちょっと時間を取った方が感情移入できたかもしれない。

でも男心をくすぐる見た目弱そうだけど実は元特殊部隊の精鋭で、舐めてかかってたらむっちゃ反撃されたり、あとジャッキー映画お約束の家の中でジャッキー暴れさせたらヤバイと言うのはきちんと織り込んであって、製作者分かってるよな。

酒場は精神の回復場所

まあ、酒場の規模と内容によるよな。チェーン系の大規模居酒屋ならそんなのないし、田舎の10人程度しか入れないような居酒屋なら常連重視になるだろうし。

まあ、俺に言わせると入ったときに店員さんもしくは大将に「一人ですけどどこに座れば良いですか?」と聞けばいいんだよ。

何か勘違いしてるようだけど、個人でやってる小さな酒場は逆に客を選ぶんだよね。嫌なら帰れだよ。個人でやってるような酒場はその大将、もしくは女将の世界なんだ。だからその世界が気に食わなければ出ていけばイイ。俺は客だぞと言う態度は個人の酒場は通用しない。

俺は酒場で店員に気を使われるのが大嫌いなので、サービスが悪くても別に構わない。その居酒屋の世界が心地よければいるし、合わなければ帰る。

例えば、入ってピーナッツを投げつけられたり、水割り頼んだら水は後ろのウォーターサーバーから自分で入れてくれとか、或いはご老体がやってて一升瓶持てないからあんた自分で注いでくれとかあったけど、どれも居心地が良い酒場だった。

酒場を単にアルコールをメインとした食事を出す場所だと思うなよ!酒場は、精神を回復させる場所なんだ。人それぞれ趣味が違うように、酒場も人によって必要なタイプが違うんだ。

あと、そういう酒場に行ってSNSにアップするのも止めてほしい。その酒場での出来事はその店内で完結するんだ。それがその大事な場所を長続きさせる秘訣。

ブログ村は情弱が多いような気がする

日本ブログ村と言う、今では数少ないブログ向けのポータルサイトがある。人気のあるブログはここへ登録しないとか言われてる微妙なポータルサイトだ。

ここ数日、そこの新着サイトをずっと見てたんだけど、独自ドメイン+Xサーバーで運営してる人が多い。しかもそういう人たちってニートとかパチスロで借金作りましたとか多い。しかもブログ初めて開設しました、なんて書いてる。なんでそんな初心者っぽい人が独自ドメインとレン鯖借りてんの。しかもXサーバーって年間1万超えるって言う高い価格帯だし。ドメインの名付け方も○○-Neet-○○.comとかSlot-〇〇-××.comとかなぜか3単語をハイフンで繋げたのが多い。

なんか違和感ありまくり。アフィリエイトかと思ったけどでもアフィリエイトリンクは貼ってないんだよね。

これってもしかしていわゆる情報商材とかに騙されてブログ運営始めた人たちじゃないの?って思う。軌道に乗ってきたらアフィリエイト申請するとか、もしくはまだ申請中とか。