It’s the last train

週末の出張が終わり、ふと思い立って家とは逆方向の普通列車に乗る。移動途中にスマホで今日中にいけるところを調べ、ホテルを予約。深夜の普通列車に乗りながらウォークマン(死後か?)を聴いていたら、ben wattのEmpty bottleが流れて、やっぱり旅っていいな、を実感。

子供の頃を思い出した。国鉄の線路が近くにあり、そこを走る汽車を見るたびに「あれに乗れば遠くへ行ける」と憧れていた。それから40年が経ち、今はどこでも行ける。当時自分が思っていた夢がかなう、と当時の自分に教えたい。

久々に飲み旅行に行った

久々に1泊2日で旅行に行った。いつものように普通列車を乗り継いで、某地方都市へ到着。緊急事態宣言を行っていない、夜も飲食店が普通に開いているところ。今までなら普通の非日常(?)だったものが今やコロナのせいでとても貴重な時間。

さんざん繁華街を歩いて店を見て回って、疲れ切ったところで見かけた小料理屋に入る。入る際、俺は緊急事態宣言の地域からの訪問者であることを自ら名乗り、NGなら退場すると話をするが快く受け入れてくれた。

入ったときの客はゼロで、俺が唯一の客。俺に取ってはよくある風景。ビールを頼みながら、肴を何にするか考える。女将さんからお任せもあると言うので、お任せでお願いする。軽いトークの中で、油ものは止めてと話しすると山菜やサラダ、魚をメインに出してくれて本当に有難い。

そうこうしていると地元の人間が段々と入ってくる。と言ってもカウンターのみ6席程度なのであっという間に一杯になる。俺は場所をカウンター端に寄り、地元の人たちのトークを何となく聞き流す。俺はあくまでスポットの訪問者で、足しげく通う常連にはなれないので、常連優先で店を廻してもらうのが筋だと思う。俺は基本的に黙食。昔はアルコールのせいもあり、調子に乗って喋りまくってたけど最近はなぜかあまり喋らなくなった。と言うか沈黙もコミュニケーションの一つだと思うようになったのか?

もうこういう一連の流れにも慣れた。うらびれた路地裏にはいつも居心地の良い店がある。どこもそういう店があって、そんな店を探して入るのが本当に楽しい。

2時間ほどで食事も最後のご飯ものが出てきて、地酒も2杯ほど頂き、良い感じで酔いが回ってきたので次の店をどうするか考える。と言ってもいつものようにお店の人とお客さんへ聞くのだけれど。

2件目はバーへ。紹介されたところはこれまた店名も小さく、灯も付いていない2階にあるバー。お客さんは医者らしき年配のオジサンとカタコトな日本語のホステスさんのカップル1組のみ。

バーテンダーさんが「うちは入りづらくて良いでしょ?」と聞いてきてああ、ここは当りのバーだなと確信。そう、バーは入りづらいところが当たり。大通りに面して大きなガラスで店内丸見えのバーはダメ。

バーは本当に別世界。廻ってきたアルコールも手伝い、現世としばしのお別れが出来る。1杯目はロングを頼み、2杯目は何となくバーテンダーさんのシェイクが見たくなったのでショートを頼んでみる。しかし、ショートはいつも思うがアルコール強すぎだよな。量が少ないからと油断するとヤバい。

で、最後はいつもその日の飲みが成功だった時に飲む某カクテルを頼んでクロージング。

翌朝、少しアルコールが残っているようだけどまた普通列車に乗り込み、ゆっくりと1日かけて帰宅。

と言うようなことが俺の最大の楽しみ。今回も本当に良い旅行だった。

人生が二度あれば

出張中。20時過ぎて夕食しようとして外に出たけどほとんどのお店が休業中、吉野家だけ開いてた。結局コンビニで弁当買ってホテルの部屋で引きこもり。

酒文化はどうなってしまうんだろうな。こうやって1年以上離れてしまったらもう戻ってこない人、酒文化に親しむ機会を失った人が出てくるだろう。でもオリンピックはこれでもやるんだな。お金が入る政治家と一部企業のために。

人は孤独から逃れられないけど孤独から逃れるために人を求める。失敗し続けるけど成功を目指して行動する。死ぬまで永遠に満たされない目標に向かって生きるのが正直つらくなってきた。

この先に孤独と無力感があるのが、うっすらと見えていながらそこへ突っ込んでいくしかない。見えているモノを見えないフリをしながら。

でももうこの年ではそれらすべてを誰かのせいには出来ない。もう自分で走ってきたルートの結果だと自分で納得させるしかない。

変化に着いていくのも最近きついし、新たな人間関係を作るのもちょっときつい。心の燃料が続く限りはおそらく走り続けられるだろうけど、燃料が無くなったら、それこそセルフネグレクトに陥ってしまいそうで怖い。その怖さからも逃げている。

音楽だけが友達

今日はなんだか家に帰ってものすごく落ち込んで、どうしようかと考えてようやく掴み取ったのがスマホからyoutubeアプリ起動して大好きな音楽を流した。

そういえば俺はいつもこうやって一人では音楽を聴いてたことを思い出した。TVでもスマホでもなく、最後はやっぱり音楽なんだ。これは中学生くらいから変わっていない。逆に言うと音楽が無ければ俺は一体何で孤独を癒していたんだろうな。むしろ無い方が自分から人間関係を求めに行って充実した人生が送られたかも知れない。

これからの人生は間違いなく人間関係を失っていく。子供も独立し、会社も定年すれば今まで以上に人間関係は薄くなる。それに耐えられるように、耐孤独力を上げておかないと、と思う。

思えば、人間関係は充実していた日々は一瞬だったのかも知れない。

映画も食事も旅行も飲みも全て一人でしてる。でもコロナで全て制限され、そして体力的にももう長時間そういうこともできなくなってきている自分を認めざるを得ない。これから先もやっぱり音楽だけが寄り添ってくれるのだろうか。

モヤモヤした国のモヤモヤしたニュース

ゴールデンウィーク中、することも無いのでニュースをTVで見てた。そこには川でバーベキューをする人たちにインタビューしててて、インタビューされていた人たちは悪態をついてた。まあ、DQNの川流れ的なヤツかなあなんて思いながら見てた。

しかし、何だかモヤモヤした気分が晴れない。何でだろうと思ったら、TVのニュース自体はそのインタビューされた人たちが良いとも悪いとも言わないのだ。それは全てのニュースでそうで、繁華街に出ている人たちにインタビューして、呑気なコメントだしてる若者たちに対しても、何のコメントも無く次のニュースへ移動する。

ちょっと前ならキャスターがしたり顔で問題ですねとか言ってたのに、今は言わないのだ。ただ、インタビューの仕方や切り取り方は批判めいたものを感じる。何と言うか、TVニュース自体が空気を読ませるような作り方なのだ。

何なんだこれは。政府自体が自粛と言いながら金も出さずに空気を読ませて半ば強制しているような中で、マスコミもまた同じような空気を醸成してる。言いたいことがあるなら批判を受ける覚悟で言えよ。

何だか気持ち悪い空気を日本もマスコミも作り出してるなあ、と思うとともに、アホらしいなと思う。

俺としては、国民にお願いするなら補償をしっかりするべきだ。そりゃ金は出さない、でも店空けたらダメだよ、空気読んで店閉めたのはお前だから国は補償とか責任持たないよ、と言う卑怯なやり方やってたら、そりゃ誰も言うこと聞かないよな。つーかそれで言うこと聞くのは同じ組織内の部下だけだよ。

こんな空気を醸成している国はもう終わってるよな。世界は空気なんか読まないし、ウィルスも空気読まない。日本の上層部だけが空気読んでくれと部下に圧力をかけ、外にお願いしてるんだな。

映画「すばらしき世界」を観た

映画「すばらしき世界」オフィシャルサイト

ネタバレ書くので注意してください。

西川美和監督の映画は「ゆれる」以降全て映画館で観てる。最初は一刻も早く観たいので映画館に行っていたが、そのうち映画館で無いと登場人物の表情が読み取れないので映画館で観るようになってた。今回は緊急事態宣言の影響もあり、近隣では観に行くことができなかったのでかなり遠出した。行きながら何やってんだろう、と思ったが観ないと後で後悔しそうだったし、実際観に行って良かった。

まずはいきなりエンディングについて。何て皮肉たっぷりなタイトルなんだろうと思った。主人公は元ヤクザ、不幸な生い立ちで曲がったことが大っ嫌い。弱い物イジメは黙ってみてられない性分。

だけど最後は周りにいる善意の人たちに説得され、イジメの現場を見ても見ぬふり、その後イジメた人間たちの輪の中で同じように嗤う主人公。最後は虐められた人からもらったコスモスを持ったまま死ぬ。握ったコスモスは主人公の今までの人生だと思った。それを捨て去って、堅気として生きることを決意したのだが、それは逆に主人公の人生自身を捨て去ることと同義。

そして悪意の無い善意の方々が写されてエンディング、タイトルが出てくる。なぜイジメを見て見ぬふりを出来ない性格を変えて、イジメた人間達と一緒に嗤うことが今の世界に適応したことになるのか。それが素晴らしい世界と言えるのか。最後は皮肉たっぷりに終わる。

あと印象に残ったところを幾つか。

長澤まさみ演じるTVプロデューサーの胡散臭さがスゴイ。ホルモン食べるシーンなんか、確かに長澤まさみは美人で服も白系でまとめてて綺麗なんだけど、スクリーン上から胡散臭さが臭ってきそうなくらい滲み出てて、よくこんな風に撮れるなと感心。つーか長澤まさみなら主役レベルだと思うんだけど、こういうチョイ役でしかも胡散臭い役で出すのスゲーな。

長澤まさみもそうだけど、他の女性陣もしたたかさが見えてグッド。結婚していた奥さんも主人公が刑務所に入っている間にしっかり再婚して子供も作っている。でも主人公が自分の家に訪問したと知るや、電話番号調べて電話してきて、あげくに会おうと言ってきたり、ヤクザの友人の奥さんも思わせぶりな発言して、いやいや、こういうしたたかさって生々しく表現されてて良いよな。

小説家希望のディレクターがなぜあそこまで主人公に肩入れするのか。それは映画内では一切語られないのだが、おそらくTVディレクターも母親絡みでトラウマ抱えてるんだろうなと思った。こういう語られない、観客が想像する余白を残してくれているのが良いんだよな。主人公のことを怖がっているくせに電話ではズケズケ物を言うし、母親探しも率先してやるし、最後主人公が亡くなった時は一番取り乱してた。

と言う訳で、期待を裏切らないいつもの西川美和監督の映画で大満足。観てて思ったけど、この人の映画はもはや映画では無くて、他の人の人生を映し出す窓みたいなもんだな、と思った。他人の人生が2,000円足らずで観られるのは安い。

アニメ「PSYCHO-PASS」にハマった

アニメ「PSYCHO-PASS」

動画サイトで何気なく見始めたら止まらなくなって配信されている分は一気に全て見てしまった。俺に取っては久々のヒットアニメだった。

一話からまあまあ面白いアニメだなと思ってみてたのだけれど、特に9話あたりから俄然引き込まれる展開になる。何と言うかこのアニメの制作者は絶対頭おかしいと言うか、性格が捻じ曲がった嫌らしいヤツだ(誉め言葉)。

印象的なところはいくつかあるが、一つは市民の行きかう中で人が殴り殺されるシーンがある。しかしながら、行きかう市民は助けもせず、動画を取っているだけ。市民に言わせれば「どうすれば分からなかった」と。

これって結構現実社会の風刺してるよな、と思うのだけれど、これは「アニメ」で「近未来」の話だし、現実世界の市民はさすがに「どうすれば分からなかった」は言わないよね。止めるか、警察に連絡するか。

そうとは分かっていても、俺の心の中には嫌な気持ちが残る。現実世界とは違うと言うエクスキューズを暗黙に幾つも並べているけれど、実はそれが逆にストレートに見てる人に問いかけてくる。フェイクを幾つも入れてるけど逆にそのフェイクが見てる人に対し、ストレートに嫌な感じを押し付けてくる。

それと、老人が人間狩りをするシーンもあるのだけれど、その老人がそういう誰かの死に直面しないと生きた気がしないって言ってて、これもなんとなく分かるなと思った。

年を取ると大抵のことには驚かなくなるし、感動もしなくなる。でも心の中ではそういう驚きとか感動に飢えていて、それを享受できるならマイナス要素のことでもいいかな、と思い始める。

この人間狩りをする老人も、最初は安全地帯から撃つだけだったのが、最後はのこのこ出ていって狙われる立場にもなり、最後は殺されるのだけれど俺は見ててきっとこの老人はそれでも幸せだったのだろうと思った。

こんな感じで心理的に嫌なことばっかり目の前に並べていくアニメです。3シーズン全て見たけど、1,2シーズンが面白くて(心にどんより来る)、3シーズンはちょっと頭脳戦メインみたいな感じかな。あと、見てて思ったけど1,2シーズンのヒロインの声の演技が結構いいと思う。天真爛漫な感じだったのが局面によってはドスの効いた感じになったり、鬼気迫るものがある。

1stシーズンの悪役がやたらと書籍の言葉を引用してて、何か見たことあるなと思ったらインパルス板倉がコントでよく演じる悪役そのままじゃんと気がついた。警察に捕まってヨハンとか言ってそう。実写化するなら是非インパルス板倉がこの悪役やって欲しい。

ちなみにネットでこの悪役検索するとユニクロ愛好者っぽいと書いてあって笑った。確かにファッションユニクロっぽいけども。丈の短いズボン履いてるけども。淡い単色系のファッションメインだけれども。

と言うわけでイヤーな思いをしたい人にはお勧めです。50過ぎのオッサンがハマる良作です。

高速道路のPA/SA飲食閉鎖について

【魚拓】トラックドライバーの「SAPA飲食店を開けてくれ」に「コンビニ利用」を促す国交相のズレ感(橋本愛喜) – 個人 – Yahoo!ニュース

上のリンクは魚拓です。だいぶ下にスクロールしないと記事が読めないかも。

俺も最近、出張で公共交通機関が使えず、社用車で移動してるのだが、仕事が終了してから次の場所へ移動となるため、高速道路に乗るのが夕方から夜になる。

まあ俺の感覚だと18時頃からトラックが増えて、22時くらいはもうほぼ高速道路はトラックだらけ。で、PA/SAを利用するのだけれど、夜のPA/SAってホントにオアシスなんだよな。黙々と闇の中を走り続けて、ほっとするのがPA/SAなんだよ。当然、腹も減るから飯も食べるよ。コンビニ飯食えって言われても、数少ない仕事中の楽しみだしなあ、飯食べるのは。

しかもトラックドライバーの人たちはみんな独りだから、食事中に喋ったりしないし。黙々と食べてるよね。

こうやって緊急事態宣言下でPA/SAの飯の供給を止めると、その宣言の近隣PA/SAで飯食べようってなって結局近隣県のPA/SAが密になるだけなんだよな。

なんか政治家ってホントに想像力ないし、そういう人が世の中のルールを決めていると思うとウンザリする。いろんな人のいろんな生活を想像して、それぞれにベストとはいかないまでもベターな生活を設計するのが政治家の仕事なんじゃないの。料亭で仲間で集まって食べるのが飯だと思っている人たちにとってはトラックドライバーの生活は想像すらしないのだろう。

なぜ俺は生きてるんだろう、と言う陳腐な疑問を未だに持つ

浄土真宗の僧侶です。初めて書き込みます。

実に3000を超えるはてブがついてる。ネット上に溢れる生き方指南は無数にあるけれど、実は昔から提供されていた正統派の教えは意外に供給が無かったのか。

これを読んだ後、車を運転しながらふと「なぜ俺は生きてるんだろう」と言う疑問を抱いた。昔、10代の頃によく抱いた疑問。ただ、10代の頃と違うのは、「死」と言うものが近くなってきたのを実感しているのと、守らなきゃいけない家族があること。

最終的にはTVのスイッチを切るように死んでしまい、結局無に戻るだけなのになぜこんなにも、もがかないといけないのか。仕事をしている同僚や取引差も皆死へと一直線のノンストップ特急に乗っている。死ぬ間際には後悔したくないとは思うものの、どうしようもない環境の変化でどんな努力も無になってしまう可能性もゼロじゃない。

結局は家族も友達も作らなくて、最低限の労働で生きて後は趣味に生きてゆっくりと死に向かうのがコストパフォーマンスが良いのか。それを知っている今の若者はコスパを気にするし、ミニマリズムにハマり、〇〇離れを引き起こしているのか。

老人の方が生への執着が強いのは分かるような気もする。まだまだあると思っていた生の貯金がマジで減ってきているからこそ、焦っているのだ。

俺は今でも思い出すのが以前書いた人生は時が経たないと分からないことばかりだ。みたら2017年のエントリなのでもう4年も前に書いたことか。これが最悪の時期だったと今でも思う。あれから、時々やはり失踪していたらどうなっていたかと思う。

今は期待値にお金を払う時代

無職が失業保険使ってチケット台本を80セット(約24万)買った話(理由)

インターネット界隈でよく見る、他人から見るとゴミみたいな商材を有難がって買う若者の図。取引上、西野氏は別に買うことを強制してないし、買った方も内容は分かって買ってるから詐欺でもない。昔、AKBが空気を売っていたのに比べれば映画のチケットとシナリオ台本なんて逆に善良な内容かも知れない。

だけど、すっごくモヤモヤするんだよな。胡散臭いものへの免疫のない若者(これはこの人をさしているのではなくて、一般論)、何者かになりたいけどなれない自分を何者かにしてくれそうな予感。俺も若い時に通った道だからな。俺の時は胡散臭いものは胡散臭かった。雑誌の裏表紙とかにひっそりと広告載せてるようなものだったから。

それが今や写真や動画、そしてオフ会と言った手段でキラキラしてイケてる世界へ足を踏み入れることが出来る。何者かになれない自分がここでは何かになれそうな気がする。

最近のネット上に出回る商品は株みたいに思える。持っておけば成長できる、そういう期待値だけを抽出して売っている。お金持ちになれる、イケてる世界に行ける。なんだかそのアイテムを持っているだけでそこに行けるような気がする。

幻想だけで生きている。売る方も買う方も。食事とか住居とか、衣服とか、そういうものの消費は終わり、そして自分らしく生きるための差異化としての消費も終わる。今は「何かになれそうだ」と言う期待値にお金を払う時代なんだな。

でも、何かを買うだけでは結局何も得ない。逆説的だけれど、単に買うだけでは何も生み出さない。映画を見ても、DVDを買っても、小説読んでも、そこに人のつながりや自分自身の気づきが無ければ、その人生は何もないだろう。