俺はバーテンダーとホステスの間に出来た子供だった。俺が2歳の時に離婚。離婚原因は未だにはっきりしないが、おそらく父親側の浮気だろうと思う。父親は遊びで俺の母親を抱き、俺が出来て結婚したんじゃないだろうかと思う。
2歳からは祖母と母と3人暮らし。途中、2階に創価学会のおばさんが下宿を始めた。家は掘っ立て小屋みたいな感じだった。自分の部屋も無く、居間で勉強も食事も寝るのもしてた。母親はホステスをしていたので夜は祖母と2人きりだった。夜は母がいなくて寂しかったのを覚えてる。深夜に母が帰ってくると、祖母が、俺が可哀そうで、と泣き、母がそんなこと言ってもしょうがないじゃない!とよく切れてた。
それでも今思い返すと俺はあの頃は母や祖母に愛されていた幸せな時間だった。そして父も、下校時間にたまたま車で通りがかったと言って会うことがあった。あれは偶然じゃなくて時間帯をきっと合わせて通っていたのだと気づくのはだいぶ後だった。
中学に上がる前に、母親に新しい恋人が出来た。その時の言葉は今でも覚えてる。「あんたが来なくても私はこの人と結婚するから」俺は別にその新しい恋人に何の悪意も好意も持っていなかったのでそのまま母親について新しい父親が出来た。
新しい父親は気が小さいけどギャンブルにお金を突っ込んで借金を抱えていた。借金取りの人が何度かうちに来て母と打ち合わせをしていたのを覚えている。暴力に訴えるような回収は見なかった。結局その後二人は離婚と再婚を繰り返しながらも同居し続けるのだが。
俺はそんな家に居続けるのが苦痛だった。借金問題で夫婦喧嘩が絶えなかったし。よく乗る私鉄に乗ると当時、一区間だけ国鉄と並走するところがあり、俺に取ってはその国鉄の線路がこの状況から逃れられる道のように思えた。
高校を卒業し、隣県の大学に進学。どうのこうの言って新しい父親は俺の進学費用や生活費を出してくれた。大学生活は楽しかった。ようやくあの家から離れられる。だけど、大学生活のうち、何回かは授業料や生活費の未払いが起こり、そのたびに嫌な気分が襲ってきた。
大学に行って半年か1年くらいして家に帰ったところ、二人の間に出来た弟が7歳くらいになっていて、その3人で家族が廻り、完結していることに気が付いた。生みの父親もだいぶ前に結婚して2児の父親。俺の帰る場所はもう無いんだな、と実感したのを覚えてる。
その後、生みの親父がしているバーに行くことがあって、そこでも親父に「お前の帰る場所は無いんだ」と言われた。分かっているよ、と思うとともに、誰がそういうところに俺を追い込んだんだ、と思う。
きっと父親は俺に強く生きて欲しかったんだろう。でもその発言は当時若かった俺には早すぎたんじゃないの、親父。
何となく急に自分語りしたくなったので発作的に書いてみた。誰も興味の無い、誰も聞きたがらないオッサンの一人語り。気が向いたら続き書くかも。