日常と非日常の境界

コロナに感染した。発熱した時に「ああ、非日常の路線に乗り換えたんだな」と何となく思った。ここから更に死と言う人生一度しか起きない最強の非日常へと突き進んでいくのか、それともまた日常に戻れるのか、どうなんだろうと。それは俺ではコントロールできないこと。

幸いにも体調は回復しており、また日常へと戻りそう。

現実世界の日常-非日常のシームレスな移動には本当に感動する。そもそも日常と非日常と分け方自体、人間が作ったものなので、運命の神にとっては何の意味もない分け方なんだろうけど。

人生はこうやっていきなり大事なものを何の予告も無く失ったり、また逆もある。それの積み重ねが人生なんだろうけど。若い時は退屈な日常にウンザリしていたことも多かったけど、年を取ると退屈な日常も定期的にリセットやアップデートがかかってることに気が付く。

安いものを買い替える消費スタイル

消費の形態として、少しくらい高くても長持ちするものを買え、と言うのはファッション雑誌他、消費を勧めるマスコミの全般的な意見。だけど、年を取ってきて思うのは逆にファストファッションとかそういう安くて消費されるものを次々と買い替えた方がお得なんじゃないか。

一番貧乏くさいのは安いものをボロボロや機能低下になっても執着して使うことで、まあそれで本人が幸せなら別に良いのだけれど、それを使い続けることで他人に不快感を与えるのは良くない。

俺だけかも知れないけれど、これはイイ!と思って買ってもせいぜい1か月もすればもう日常に埋もれてしまい、興味もほぼ失ってしまう。そういう自分を理解しておけば、飽きっぽい自分には安いものを定期的に買い替えて、少なくとも清潔感と便利さは維持すればそれで良いんじゃないかと思うようになった。

と言う訳で服や身に着ける時計やバッグなどはあまり高いものを買わず、清潔感や機能が失われてきたら躊躇せずに買換えを行う、と言うのが自分に合っていると気が付いた。

近所の飲み屋開拓をようやく始めた

この週末にようやく近隣の居酒屋巡りを始めた。コロナ禍も落ち着き、店も通常営業だ。

1軒目はこじんまりした居酒屋。大将は日焼けしたマッチョなオッサン、オーダーを取るバイトらしい女の子は爪を黒く塗ったギャル。そんな居酒屋で一人のオッサン客が隣のカップルに空気読まずにAKBについて熱く語ると言う、なかなかにディープな場面に飛び込んでしまった。若いカップルの方がオッサンより大人な対応だったな。

それでもこういう居酒屋の雰囲気は悪くないし、久々に帰って来たような感じもあった。

2軒目はスナック。ずっと気になっていた、もう外観からして場末感がスゴイところへ。ところが入店しようとしたらドアに会員制と書いてる。入ろうかどうしようか迷った結果、そこには入らず、隣のスナックへ行くことにした。そこでホントは横の会員制スナックに行こうと思ってたんですよ、なんて話をしたらママが直談判に行ってくれ、無事に会員制スナックへ新規で入店できた。中は何とも渋い内装で、おちついた歴史のある感じで外観との違いにびっくり。スナックと言うよりバーな感じだった。

で、3軒目はホントは行く予定じゃなかったけど、直談判してくれたママのスナックへ行き、お礼とともにまた飲む。結局3軒ハシゴしてしまった。

オイルヒーター購入した、最高です

冬目前、寒くなってきた。今住んでいるのは6畳程度のワンルームのアパートなのだけれど、そろそろ暖房器具を揃えないとな、と色々と物色してた。部屋にはエアコンが元々付いているのだけれど、乾燥するし、暖房能力で言うと石油ストーブやガスファンヒーターの方がパワーあるよなーと思いつつ、でも灯油いちいち買うのもメンドクサイし、ガス配管は居間に来てないしどうしようかなー、と思案した結果、以下の商品を購入。

10‐13畳向けのオイルヒーター。スペックだけだと俺の部屋にはオーバースペックなのだけれど、これが大正解だった。ほんのりと部屋全体が暖かい。無音だし、風も発生しない。何つーか湿気の出ないデブがいる感じだな。

もうエアコンで暖房することは無くなったし、まだフルパワーで使ってないので12月以降の雪の降る頃でも対応できそう。

あと、操作方法もアナログで俺好み。温度表示とかなくて、LowとMiddleのON/OFFボタンと、ヒーターのON/OFFの時間間隔を6段階で調整できるダイヤル、そしてこれまたレトロなタイマー。円形で24時間表示、爪を中に折るとON、外だとOFF。タイマー設定は就寝時間の2-5時をOFFの設定にしてる。

今の人にはなじみが無いので扱いが分かりづらいところがあるらしいけど、俺は逆にとてもレトロで馴染みやすい。

世の中にはワンルームで暖房器具がエアコンだけって人も多いだろうけど、そう人たちにはもって普及しても良いと思う。

映画「護られなかった者たちへ」を観てきた

今年見た映画の中でNo.1の傑作。冒頭から陰鬱で救いようのない状況が続く。そんな中でミステリー、社会派な問題提起、そしてエンディングまでが非常にうまく融合してる。俳優の演技も素晴らしい。特に主演の佐藤健の目で演技するところは、本当にスゴイ。常に社会に対し敵意を出してるところ、お婆さんからの親切に対してどうやって対応したら良いか分からない不器用さの表現。

そして、悪役的な立場にいる人たちも一面的な描き方では無くて、ある面では善人であることも説明される。システムの矛盾に巻き込まれて疲弊していく。

批評観てると動機が弱いとか言ってたけど、憎悪は愛情の裏返しなので、愛情が強ければ強いほど憎悪も大きくなっていくのは必然。

更には女性のしたたかさや強さもちゃんと描かれていた。

序盤からどんどん引き込まれて、あっという間の2時間だった。これは絶対に映画館で観て欲しい。きっと何年か、何十年か経過したときに2021年の名作として上がる映画になると思う。

旅行アイテムを買った

ワクチンも2回接種したので意を決してショッピングモールへ行ってきた。普通に混んでてちょっとびっくり。温泉・鉄道旅用のアイテムを買ってきた。リュックサックは先日購入、更に今回はウォーキング用に白いシューズ、それと出張用にリュックサックに入るA4ビジネスバッグ。更に下着も買って、冬用のパジャマも買った(パジャマは旅行に関係ないか)。

実はこの週末にまた普通列車を使い温泉旅行に行くので、それ用のアイテムを揃えた。意外に旅行の友になっているのがbluetoothスピーカー。ウォークマンとセットで持っていき、車内ではヘッドホンで音楽を聴き、宿泊先ではこのbluetoothスピーカーを通して音楽を聴く。使っているのは以下のスピーカー。小さいのに音がしっかり出ててほぼ毎日使っている愛用品でマジお勧め。

以前なら旅先で外に飲みに出ていたのだが、コロナ禍が怖いことと、部屋で静かにアルコールと肴を持ち込んで飲んでいる方が落ち着く。

ここ最近はホントに飲みに行っても口数が減ってしまって、まあ以前からbar等では喋り過ぎてて静かに飲もうと思ってたのが実現できたのは良いんだろうけどな。

手に入れたものは増減せず、変わっていくだけ

18歳で家を出てから、何回住む場所変わったか。今、住んでいる場所で4都市目か。同じ都市内だともっと多い。これからもまた住む場所は変わるんだろうな、となんとなく思ってる。しかも住む場所は段々と故郷から遠くなっている。最後俺はどこで死を迎えるのだろう。

俺に取ってはそういう生活の基盤となる場所がどんどん変わるのはもう当たり前に近くなってて、住む場所が変化することは苦ではなくなってきた。そしてそういう人生を歩んでいく中で、住んだ場所で得た行きつけのお店や、文化なんかもいつか手放し、また別の場所で手に入れていく。

年を取るごとに手元にあるものが増えていく、と言う感覚は無くて、常に手元にあるものが変わっていく、と言う感覚。なので、何かを失ったように見えて、きっと代わりの何かを手に入れてる。失ったように感じるのは、その手に入れたものが分かりにくくなっているだけ。

年を取ると、若かりし頃がもう二度と手に入らないもので、思い出すだけで胸をかきむしるような気になることがある。でもきっと今の何かを手に入れていて、また老人になったころに今の時代を思い出して同じような思いに至るのだろうか。

温泉に行ってきた

鈍行列車に揺られながら3時間、温泉へ行ってきた。本当に鄙びた温泉で、近隣に食事も買い物もするところが無いので夕食やらおやつやら酒やら持ち込みで行った。途中、有名な温泉駅で通ったのだが、おばさま方がおしゃべりしながら大きなカバン持って降りて行った。きっとお洒落な大きな温泉宿でも行くんだろうな。

俺は大好きな宿の条件は部屋数は10部屋に満たず、風呂・トイレ共同。個人経営で、昭和の香りが残る宿。温泉はこじんまりした内湯が一つだけ。そういう宿が気に入ってる。しんとした和室で独り横になっていると何とも言えない幸せを感じる。誰も俺の居場所を知らない、隠れ家に来たような気になる。そして気が向けば、温泉に入り、ゆったり。部屋に帰って酒を飲んでゆったり。今回の宿は窓の外を川が流れていて、川の流れる音だけが聞こえる。

翌朝も早起きをして朝風呂に入り、共同の水場で歯を磨く。そして時間になれば食堂に行って朝ご飯を食べる。列車の到着時刻が近づいてきて、チェックアウトをして駅まで向かう。この駅がまた無人駅で線路の上りも下りもすぐに山の中へと消えていく。こうやって不便な場所まで時間をかけてくること自体が、俺に取っては必要な儀式、娯楽。

Julia Fordham – Cutting Room Floor

Julia Fordhamの最新アルバム。俺は彼女の公式サイトからダウンロードしたのでおそらく日本でもかなり早い段階で手に入れた(と思う)。

彼女のアルバムは30年以上にわたり購入を続けている。ライブもここ何年かは来日の度に行っているので、おそらく俺はコアなファンなのだろう。

だろう、と言うのは不思議なのだが、そんなに熱狂的なファンではないと自分でも思う。でも彼女の曲は空気のように常に俺の傍にあって、昔の曲を聞くとその当時を思い出す。

それだけではなくて、ずっと聞いているとまた新たな発見とかがあって、俺が成長するとともに彼女の曲も合わせて変化していっているような感じなのだ。

前置きが長すぎたけど、今回のアルバムも良くて、最近のヘヴィロテです。なんというか空気感が統一されていて、それがJulia Fordhamらしいし、また俺にもすっと入ってくる感じ。正に前述した空気のような感じ。透明感と清潔感がある。

お勧めの曲をいくつか紹介。

オシャレなカフェでかかってそうな曲。

歌詞の通り、ゆっくりと沈んでいく感じが素晴らしい。

自分語りしたくなった

俺はバーテンダーとホステスの間に出来た子供だった。俺が2歳の時に離婚。離婚原因は未だにはっきりしないが、おそらく父親側の浮気だろうと思う。父親は遊びで俺の母親を抱き、俺が出来て結婚したんじゃないだろうかと思う。

2歳からは祖母と母と3人暮らし。途中、2階に創価学会のおばさんが下宿を始めた。家は掘っ立て小屋みたいな感じだった。自分の部屋も無く、居間で勉強も食事も寝るのもしてた。母親はホステスをしていたので夜は祖母と2人きりだった。夜は母がいなくて寂しかったのを覚えてる。深夜に母が帰ってくると、祖母が、俺が可哀そうで、と泣き、母がそんなこと言ってもしょうがないじゃない!とよく切れてた。

それでも今思い返すと俺はあの頃は母や祖母に愛されていた幸せな時間だった。そして父も、下校時間にたまたま車で通りがかったと言って会うことがあった。あれは偶然じゃなくて時間帯をきっと合わせて通っていたのだと気づくのはだいぶ後だった。

中学に上がる前に、母親に新しい恋人が出来た。その時の言葉は今でも覚えてる。「あんたが来なくても私はこの人と結婚するから」俺は別にその新しい恋人に何の悪意も好意も持っていなかったのでそのまま母親について新しい父親が出来た。

新しい父親は気が小さいけどギャンブルにお金を突っ込んで借金を抱えていた。借金取りの人が何度かうちに来て母と打ち合わせをしていたのを覚えている。暴力に訴えるような回収は見なかった。結局その後二人は離婚と再婚を繰り返しながらも同居し続けるのだが。

俺はそんな家に居続けるのが苦痛だった。借金問題で夫婦喧嘩が絶えなかったし。よく乗る私鉄に乗ると当時、一区間だけ国鉄と並走するところがあり、俺に取ってはその国鉄の線路がこの状況から逃れられる道のように思えた。

高校を卒業し、隣県の大学に進学。どうのこうの言って新しい父親は俺の進学費用や生活費を出してくれた。大学生活は楽しかった。ようやくあの家から離れられる。だけど、大学生活のうち、何回かは授業料や生活費の未払いが起こり、そのたびに嫌な気分が襲ってきた。

大学に行って半年か1年くらいして家に帰ったところ、二人の間に出来た弟が7歳くらいになっていて、その3人で家族が廻り、完結していることに気が付いた。生みの父親もだいぶ前に結婚して2児の父親。俺の帰る場所はもう無いんだな、と実感したのを覚えてる。

その後、生みの親父がしているバーに行くことがあって、そこでも親父に「お前の帰る場所は無いんだ」と言われた。分かっているよ、と思うとともに、誰がそういうところに俺を追い込んだんだ、と思う。

きっと父親は俺に強く生きて欲しかったんだろう。でもその発言は当時若かった俺には早すぎたんじゃないの、親父。

何となく急に自分語りしたくなったので発作的に書いてみた。誰も興味の無い、誰も聞きたがらないオッサンの一人語り。気が向いたら続き書くかも。