いつだってフロンティアに出ていく

怒られなくなったのは年のせいかと思っていたけど、実は全年齢的に叱られる機会が減ってると言う話。そういえば、昔は口うるさいオジサンとかお爺さんとかいたよな。年を経るごとにそういう人って減ってきた。どちらかと言うと叱るよりコミュニケーションを止める人が増えてきたよな。うるさく言うくらいなら関係自体を切った方がコスパが良いと言うことなんだろう。

同い年くらいで人間的に問題がある人が少しいる。おそらく、若い時に年配者や先輩からその人間性について指摘があったものの、真正面から受け取らず、受け流す技術だけが発達して今まで来た人。

もうオジサンになれば、誰もそれを指摘しない。昔、口うるさく指摘してきた先人たちは不在となり、同年代と年下はコスパを考えれば口うるさく言ってハラスメントと判断されるよりは関係性を極力薄くした方が良い。

一番大事なのは「何を」するかではなくて、「どのぐらい」するかだ、と。健康とは原理の問題ではなくて程度の問題なんだ

上記引用は健康問題について記載されたものだけど、人の関係性と成長もそうだと思う。全く人と関わらないことと、あまりにも濃密な人間関係。全く負荷のない仕事と、負荷が酷い仕事。どちらも良くなくて、程よい範囲と言うのがあるはずだ。

時代は人との関係性が無くなり、仕事の負荷も減っていく中で、また揺り戻しが来るんじゃないかって思う。それはそういう時代としてくるのか、一部地域、集団内部で起きるのかは分からないけど。

俺も最近、誰にも叱られることが少なくて、正直怖くてしょうがない。叱られない代わりに、周りで悪い評価が独り歩きしているのではないかと。

どうあれ、「中年になったら誰も叱ってくれない」社会、いや、「若いうちから相互干渉に非常にセンシティブな社会」では、私たちは相互干渉が当たり前だった頃に比べてずっと高い自覚力と自律性を求められるのだろう。しかし、現代の40代以降を見ればわかるように、それは誰もがやってのけられることではないし、完璧にやってのけられることでもない。私も自信は全く無い。ここらへんで「そんじゃーね。」と言って匙を投げたくなってしまう。


だけど、叱られない社会をみんなが望んだ。 – シロクマの屑籠

一つ言えるのは、40代以降は得たものを失っていくフェーズに入ってきてると言うことだ。子供は育ち、親は死ぬ。会社は退職し、体力も気力も減っていく。今までとは違う撤退戦をどううまく戦うかと言う時期だ。

年を取っても人生に繰り返しは無く、死ぬまでフロンティアにチャレンジできると良い方向に考えて、前向きに、明るくと言う気概、そして周りの人々への感謝とタフさだけは忘れずに生きたい。