ネタバレ書くので注意してください。
西川美和監督の映画は「ゆれる」以降全て映画館で観てる。最初は一刻も早く観たいので映画館に行っていたが、そのうち映画館で無いと登場人物の表情が読み取れないので映画館で観るようになってた。今回は緊急事態宣言の影響もあり、近隣では観に行くことができなかったのでかなり遠出した。行きながら何やってんだろう、と思ったが観ないと後で後悔しそうだったし、実際観に行って良かった。
まずはいきなりエンディングについて。何て皮肉たっぷりなタイトルなんだろうと思った。主人公は元ヤクザ、不幸な生い立ちで曲がったことが大っ嫌い。弱い物イジメは黙ってみてられない性分。
だけど最後は周りにいる善意の人たちに説得され、イジメの現場を見ても見ぬふり、その後イジメた人間たちの輪の中で同じように嗤う主人公。最後は虐められた人からもらったコスモスを持ったまま死ぬ。握ったコスモスは主人公の今までの人生だと思った。それを捨て去って、堅気として生きることを決意したのだが、それは逆に主人公の人生自身を捨て去ることと同義。
そして悪意の無い善意の方々が写されてエンディング、タイトルが出てくる。なぜイジメを見て見ぬふりを出来ない性格を変えて、イジメた人間達と一緒に嗤うことが今の世界に適応したことになるのか。それが素晴らしい世界と言えるのか。最後は皮肉たっぷりに終わる。
あと印象に残ったところを幾つか。
長澤まさみ演じるTVプロデューサーの胡散臭さがスゴイ。ホルモン食べるシーンなんか、確かに長澤まさみは美人で服も白系でまとめてて綺麗なんだけど、スクリーン上から胡散臭さが臭ってきそうなくらい滲み出てて、よくこんな風に撮れるなと感心。つーか長澤まさみなら主役レベルだと思うんだけど、こういうチョイ役でしかも胡散臭い役で出すのスゲーな。
長澤まさみもそうだけど、他の女性陣もしたたかさが見えてグッド。結婚していた奥さんも主人公が刑務所に入っている間にしっかり再婚して子供も作っている。でも主人公が自分の家に訪問したと知るや、電話番号調べて電話してきて、あげくに会おうと言ってきたり、ヤクザの友人の奥さんも思わせぶりな発言して、いやいや、こういうしたたかさって生々しく表現されてて良いよな。
小説家希望のディレクターがなぜあそこまで主人公に肩入れするのか。それは映画内では一切語られないのだが、おそらくTVディレクターも母親絡みでトラウマ抱えてるんだろうなと思った。こういう語られない、観客が想像する余白を残してくれているのが良いんだよな。主人公のことを怖がっているくせに電話ではズケズケ物を言うし、母親探しも率先してやるし、最後主人公が亡くなった時は一番取り乱してた。
と言う訳で、期待を裏切らないいつもの西川美和監督の映画で大満足。観てて思ったけど、この人の映画はもはや映画では無くて、他の人の人生を映し出す窓みたいなもんだな、と思った。他人の人生が2,000円足らずで観られるのは安い。