無職が失業保険使ってチケット台本を80セット(約24万)買った話(理由)
インターネット界隈でよく見る、他人から見るとゴミみたいな商材を有難がって買う若者の図。取引上、西野氏は別に買うことを強制してないし、買った方も内容は分かって買ってるから詐欺でもない。昔、AKBが空気を売っていたのに比べれば映画のチケットとシナリオ台本なんて逆に善良な内容かも知れない。
だけど、すっごくモヤモヤするんだよな。胡散臭いものへの免疫のない若者(これはこの人をさしているのではなくて、一般論)、何者かになりたいけどなれない自分を何者かにしてくれそうな予感。俺も若い時に通った道だからな。俺の時は胡散臭いものは胡散臭かった。雑誌の裏表紙とかにひっそりと広告載せてるようなものだったから。
それが今や写真や動画、そしてオフ会と言った手段でキラキラしてイケてる世界へ足を踏み入れることが出来る。何者かになれない自分がここでは何かになれそうな気がする。
最近のネット上に出回る商品は株みたいに思える。持っておけば成長できる、そういう期待値だけを抽出して売っている。お金持ちになれる、イケてる世界に行ける。なんだかそのアイテムを持っているだけでそこに行けるような気がする。
幻想だけで生きている。売る方も買う方も。食事とか住居とか、衣服とか、そういうものの消費は終わり、そして自分らしく生きるための差異化としての消費も終わる。今は「何かになれそうだ」と言う期待値にお金を払う時代なんだな。
でも、何かを買うだけでは結局何も得ない。逆説的だけれど、単に買うだけでは何も生み出さない。映画を見ても、DVDを買っても、小説読んでも、そこに人のつながりや自分自身の気づきが無ければ、その人生は何もないだろう。