ここ最近ドス黒い何かが心の中にずっとある。犯罪物の本を読んだり、ネットで愛憎劇など読んで、心が凹んだりやるせない思いになっている。それを何故か止められない。
何度もここで書いているけど、色んなことを失っていくこの先を考えると、諦めの気持ちとともに、理屈や常識を破って獣のように生きたいと願っているのかもしれない。若い時に色々とやっておけばよかったのだろうけど、こじんまりした人生を送ってきて、いざもう昔のように何でもできる状態じゃないって思い知らされると、失ったものだけを渇望するようになる。俺はずっと昔からそういえばそうだった。
そんなところばかり見ながら、昔のふとしたことを思い出す。
俺は両親が離婚し、それぞれが再婚してそれぞれが新しい家庭をもってる。離婚したときに俺は母親についたのだけれど、再婚で新しい男(現夫)に行くとき、俺が付いてこなくても私は新しい男と結婚する、と言ってた。
結局俺はそのまま母親について行ったのだけれど、その後その二人の間には子供ができた。そして俺の生みの父親も新しい家庭を持っていた。
俺だけがどっちつかずの、どちらの家庭からも浮いているような存在だったことをなぜか思い出した。
思えば、50手前の現時点でも家族(妻と子ども)はいるけれど、友人と言える人は全くいない。家族ももう俺にはついてこなくて、独りで行動することがとても多い。取引先の人に何気なく「あなたは結婚に向いてなさそうな気がする」と言われて、はっとした。確かにそうなのかもしれない。
俺の周りに人がいないのをもう人のせいにできる歳ではない。それは俺が求めた結果なのだ。それを受けて入れてく作業をずっとしてる。
家族もいつか去っていくのだろうか。俺の母親のように、いつか引導を渡してくるのか、もしくは俺が引導を渡してしまうのか。
きっと俺以上に孤独で、独りで生きている人がどこかにいる。彼らに救いはもたらされるのか。きっともたらされない。自分から求めて、他人を救済したとしても、もたらされることはない。
でも俺たちは救済を廻りに与え続ける必要があるんだ、きっと。あとに続く人たちが、俺みたいにならないように。
きっと。